昭和40年代 私の幼少期
私は高度成長中の日本で生まれ育った。
私が幼少期を過ごしたのは長崎市にあった会社の長屋スタイルの社宅で、二階建てのタウンハウススタイルを縦に区切っていた。
ちょっと貧乏だけど、妙なプレッシャーやストレスのないざっくばらんな社会環境だったような気がする。
昭和40年代は核家族化と中間層を量産した。
近所にはいろんな子供が沢山いた。
時々、自転車で隣町まで遠征し、新しい友達を作るのが楽しかった。
40年以上たった今でも時々ふと思い出す事がある。
戦後の神武景気以降の高度成長期の象徴である三種の神器といえば白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。
私が物心つく頃にはテレビはすでにカラーになっており、テレビをつけるといつも坂本九が出ていた気がする。
洗濯機は二層式で蓋がやたら黄ばんでいるのが特徴だ。
18歳で長崎を出た時には全自動洗濯機が当たり前の時代になっていた。
生まれてからフィリピンへ来るまで、洗濯機以外で洗濯をしたことが一度もなかった。
戦争を知らない子供達という歌があるが、私の場合、手洗いを知らない子供達の一人だ。
フィリピンどんだけ洗濯好き?
ところで、先日セブで出会った留学生の方から素朴な疑問を聞いた。
「語学学校の先生に週末何してるの?って聞くと全員、洗濯っていうんですよね。フィリピン人ってどんだけ洗濯好きなんですか?」
40年前の日本だと言われるフィリピンだが、昔の日本とフィリピンを比べて、決定的に違うのが洗濯機の普及率だ。
日本は昭和30年代後半にテレビ・洗濯機と共に家庭内の三種の神器ともてはやされ、急激に普及率を伸ばした冷蔵庫も、昭和50年頭初に99%台となり飽和状態に達した。
フィリピンで洗濯は週に1度とまとめて手作業で行われることが多い。
大きな桶に水を張り、手作業で2時間ほどかけて洗濯を行う。
もし女性の手を握った時、ゴワっとしていたら、100%洗濯のし過ぎだと判断してよい。
フィリピン独特の匂いがある。
それはダウニー。
フィリピン式の洗濯は最後にダウニーという強烈な芳香剤をごっそり入れるので、一度フィリピンで衣類を洗濯するとライフタイムでダウニー臭が取れない。
思い出いつまでも。。。
週末、洗濯にかける時間と手間を削減し生産性を上げるという発想には絶対及ばない。
もし予算があれば洗濯機を買わずまずカラオケ装置を買う。
そして、高級スマホ。
洗濯機に回す予算は100年経っても回ってこないだろう。
しかし、中にはアメリカ帰りのフィリピン人や変わった考えのフィリピン人は洗濯機を買うので一つも売れないわけではない。
しかし、全自動はまだまだハードルが高く、二層式または洗濯とスピンドライが分離しているのがポピュラーだ。
【洗濯のみ機】
【スピンドライのみ機】
うちには2層式の洗濯機があるのだが、今まで雇ったハウスキーパー達は誰一人として上手く使えなかった。
スマホは使えても洗濯機は使えない?
使い方が分からないというか、覚えたくないと言った方が正しい気がする。
さて、日曜日は洗濯デー。
天気も良く、そよ風吹く洗濯日和だ。
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