フィリピンではクリスマスシーズンになるとレストランやショッピングモールで子供達が楽器を奏でながら募金活動をする。
季節に関係なく道端で信号待ちの車に手を伸ばす物乞いの子供との区別が微妙ではあるが、フィリピン人はそこが峻別出来ているのだろうか?
先日近所のスーパーの入口で子供の演奏会が行われていた。
楽器演奏をする役と踊る役に分かれる。
踊っている男の子と女の子。
歳の頃はそうさの10歳くらいか。
人前で踊ることに対する照れは微塵も無く、完全に日常的行為レベルのものとなっているのが一見して分かった。
目の前に大きな箱がある。
クリスマスプレゼントのようにラッピングされた募金箱だ。
そこの居合わせたフィリピン人は惜しみなく20ペソから50ペソをどんどん投函している。
皆かなり寄付慣れした動きをしていた。
子供の楽器演奏と踊りにほだされて大切な20ペソ紙幣を寄付するのか、それともクリスマスにドネーションすると何か良いことがあるのか?
いずれにせよ、これはカトリック国ならではの事なのだろう。
私も50ペソを投函してみた。
これがこの子らの飯の一部にでもなれば。。。
普段の不毛な戦いに凍てついた心が少しほぐれる気がした。
先日、いつもの長過ぎる信号待ちの時、隣に止まったタクシーの助手席に中東系のゴツいガイジン男性が乗っていた。
そして物乞いの老婆が手を伸ばすと窓をあけてコインを渡した。
相手への哀れみのかけらもない豪快な笑顔だった。
あんなの初めてみた気がする。
貰った方よりあげた方の顔が確実にハッピーなのは歴然とした事実。
そのやり取りが想定外に素敵過ぎたので、つい私も真似して豪快に5ペソコインをあげてみた。
貰った老婆は一言の礼も言わず溶岩のような顔をしたまま次の車へと移動した。
これは僧侶の托鉢と同じだ。
僧侶が托鉢する真意は貰うことではなく、人々が僧侶へ施すことによって生ずる徳を積ませるためにやるのだ。
だから小銭をお椀へ入れてもらっても、「有難うございます」と絶対言わない。
もしお礼を言えば、それは単に自分のための物乞いとなってしまうからだ。
物乞いの老婆も皆に徳を積ませるチャンスを与えていると思えばまた存在感がかなり変わってくる。
額より回数だ。
幸福度を意図的に上げるには、大きく50ペソとかあげるより、むしろ小銭を数回に分けてあげるのが良い。
あくまで寄付は自分のためであり、相手がどうかは全く関係のない世界なのだ。
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