私が住んでいた頃の日本では既に高校生や大学生の若年層が優先席に堂々と座る事がよく問題視されていた。
席を譲ったら、シニアから「爺扱いするな」とキレられたり、何かと優先席をめぐる問題は尽きない。
今回の帰国では田園都市線を中心に毎日電車に乗って移動したが、目についたのがシルバーシート。
堂々と座り過ぎる若者達。
スマホを見ながらイヤフォンを耳に挿入し、完全に外界との接点を意識的にシャットダウン。
皆でやれば怖くない状態。
シニアや障害者が近くに来ても気が付かないという布石を打っている。
日本の社会規範に照らし合わせると、席を譲らない若者=悪ということになるのだろうが、これに対し若者のほうがゆとりのある年寄りよりずっと疲れているとか、体調の悪い若者だっているのだという抗弁も鉄板。
日本を離れてみて気が付いたことが沢山ある。
この優先席をめぐる摩擦もそうだが、まず日本は絶対的義務の国であること。
お年寄りに席を譲りましょう(You have to give your seat)
日本人の思考の99%は英語でいうところのhave toで構成されている。
その延長で事件は起こる。
長崎のシニア女性が凄い。
優先席の高校生に怒り!60歳女、殴って傘で突く
>座らんといかんとね
これは座る必要があるのか?という意味だ。
日本人は義務違反した人を制裁する権利にのみ燃える。
ところで、フィリピン人がお年寄りに親切にする時のマインドはコレだ。
シニアに親切にすれば天国への階段をゲットできるかも。
ひょっとしてチップがもらえるかも。
俺ってこの瞬間絶対カッコいい。
ドテルテ氏が当選した大統領選挙の時もそうだった。
とりあえず選挙権があるから選挙に行って投票をする。
誰一人として、義務的に選挙に行ったひとを見たことがなかった。
日本だと選挙は義務の対象であり、忙しいけど行かなきゃとなる人が殆どなのではないだろうか?
フィリピン人は極めて自己中で風が吹いたら遅刻して雨が降ったらしてお休みなのは本当。
自己中の人たちが幸せなのは義務は完全放置して権利だけを追い求める。
日本の若者達はゆとり教育というタームを経て、義務より権利に目覚めている。
義務には限界がある。
人は義務からは逃げようとする。
お年寄りには親切にしましょうという当たり前のことを押し付けられると窮屈で逃げたくなる。
そもそもお年寄りに席を譲るのに勇気が要ること自体が不自然だ。
日本が社会規範という謎の義務意識に縛られている限り、優先席をめぐる摩擦は無くならない。
小さい子供を抱えた母親が揺れる電車の中で不安定に立っていた。
2駅通過して50歳位の男性が席を譲った。
子連れの母親が運悪くやってきて彼の中では相当な葛藤があったのだろう。
子供を育てにくいと言われる日本、韓国、中国。
これは自ら自分の存在を消す行為率の多さとも共通している。
やはり義務で生きるか権利で生きるかが、キーワードとなるのだろう。
できれば権利を探しながら生きたい。
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