フィリピン版マスオさんからのリンク
先日知り合いのチノイからある記事のリンクが送られてきた。
彼は10年前までアメリカに住んでおり、子育てがひと段落したのでフィリピンへ戻ってきたマスオさん。
なぜマスオさんかと言えば、奥さんの実家がセブで有数の資産家で完全に奥さん主導の人生を謳歌している。
私は7年ほど前にたまたまジムで知り合いになったのだが、平日の朝から昼にかけてフィリピンのジムやカフェには奥さんの富にあやかったマスオさんがたくさんいる。
顔なじみになりフェイスブック友達になったのは良いが、ほぼ毎日ゲリラ的にいろんな記事のリンクが無言で送られてくる。
コメントも何もないのでちょっと不気味だ。
いちいち開けて見るのも面倒臭いので殆どスルーするのだが、今回の記事はちゃんと読んでしまった。
シンガポールの建国の父として有名な故リー・クアンユーのフィリピンに対するコメント記事。
普通はフィリピン人の前でフィリピンの事をディスるとプライド高きフィリピン人は怒り出すのだが、アメリカで生活していた彼としては、フィリピン人の運転マナーの横暴さやファーストフードの処理の遅さに辟易しており、フィリピン人なのに率先してフィリピンの問題点を嘆く。
先日、彼が右折のウインカーを出して右の路地へ入ろうとしたところ突然後ろにいたバイクが右側から追い越しをかけ、彼の車と接触してトラブルになったばかりだ。
ところで、彼が突然送ってきたリンクはシンガポール目線でのフィリピン。
世界の勝ち組と言われるシンガポールから見るとフィリピンは未開の土人世界。
「しつけ」がなっとらん
If you observe day by day, a lot of Filipinos do not practice any discipline.
毎日観察していれば分かることだが、フィリピン人はしつけがなっていない。
最後のDisciplineという単語をチョイスしているのがポイントだ。
まずRuleとDisciplineの違いだが、Ruleは、ゲームなどの単純な条件のことであり、道路は右側通行とか学校が8時半から始まるという人工的規則のこと。
一方、Disciplineは、制御するために利用される厳しい規範のことであり、倫理的意味合いが強い。
白い粉やっている奴でも殺してはいけないとかいうのはDisciplineの領域。
民度に関わる常識や倫理観の構築にはDisciplineが使われる。
ゴミの投げ捨て、無謀運転、並ばない、まるで火事泥棒のように理性と制御を失った暴徒のようだという。
フィリピンの民主主義はクソ
The Philippine version of democracy as of late is best called a government by stupid people, for stupid people and of stupid people.
フィリピン版の民主主義はア〇が選ぶア〇のためのア〇な政治だという。
人民によって大統領を含む政治家が選ばれる民主主義そのものが悪いというのではなく、愚かな国民が自ら悪徳政治家を選んで自分で自分の首を絞めている様子を揶揄している。
確かに、自分たちが貧しいのは政治の腐敗であるとフィリピン人が不満を言うのを盛んに聞くのだが、オカニで簡単に買収され投票しているのは当の本人達だと忘れているのだろう。
公立の学校は動物園
"Spare the rod, spoil the child." イディオムで有名なフレーズだが、「鞭を惜しめば子供はだめになる」「
可愛い子には旅させよ」という意味で使われる。
特に男の子が母親からスポイルされ、将来倫理観のない家庭を作るのだが、それを嘆く前にそれを作ったのは彼の母親であり、嘆いている妻も自分が生んだ長男をスポイルし、その循環は止まらない。
The stupid DepEd officers should really consider why discipline is so bad in the DepEd schools and in so many public schools where school fights are becoming the norm.
公立学校のア〇な職員は公立学校の中でなぜこんなにしつけがなっておらず、学校の中での喧嘩も当たり前の世界になっているのかもっと考えるべきだ。
小学校から大学まで先生自体が平気で遅刻してきたり、授業さぼったりする世界で、子供達にしつけなんて100年早い状態だ。
罪と罰で制御せよ
Just think what if people got also fined for littering, vandalism, wasting water, public smoking and the like? I would really think that it discourages bad behavior as it should be discouraged.
ゴミのポイ捨て、街中の落書き、水の無駄遣い、公衆の中での喫煙に対する制御は罰金や懲役で規制するしか方法はない。
今まで作られた数々の法律は形骸化も甚だしく、取り締まる警察官自体が取り締まられる側に即回ってしまうような国では、罪と罰による制御システムが機能するわけがない。
こうやってシンガポール目線で見ると四面楚歌状態で終わっているのがフィリピンの現状。
愛すべきア〇なフィリピン
シンガポールのような国にするならば、今すぐフィリピンの教育を含めて総入れ替えしないと無理だろう。
事実、フィリピンでも富裕層の行くプライベートスクールでは、英語以外一切禁止で、携帯をクラスの中で使うのも禁止されているフィリピン離れした小学校がある。
ホワイトボードの文字を写真にとるのも禁止なのできちんとノートに書かないといけないのだ。
数年前に見学させてもらった富裕層向けの小学校の印象は、日本よりも厳しい軍隊のような雰囲気だった。
フィリピンの貧富の差はまさに教育としつけの差といえる。
既得権を貪る富裕層の本音はフィリピンを発展させたくないという思惑に満ちており、大多数を占める貧困層は現状のまま土着し続けるだろう。
先日久しぶりに会った日本人の知り合いがこう言った。
バンコクに遊びに行くと、国も人々も発展し、可愛げのない小賢しい日本人のようになってしまっている。
その点フィリピンは無邪気でいいよね。
彼の求めるフィリピンの良さはつまりア〇さにあるのだ。
もしシンガポールみたいになってしまったらフィリピンファンはいなくなるだろう。
1/2+1/3が解けて当たり前のすかした女子ばかりになると寂しくないか?
フィリピンという国の本当の楽しみ方を原点に戻って考えてみたい。
今日はそんな気持ち。
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