あくまで私のフィリピン生活における統計結果であるが、フィリピン人は平均40分遅刻してくる。
しかし、自分がたまたま先に到着した場合は「お前は一体どこにいるのだ?」と矢のようなメッセージがバンバン入ってくる。
こんな身勝手だと日本では変な人になるが、フィリピンではごく標準的。
40分遅れてでも最終的に来ればよい方だが、ドタキャンやすっぽかしは本当に日常的。
少し遅れるという事前連絡は基本的にない。
図星で、そこからこちらには全然関係の無い様々な言い訳が始まるのだ。
フィリピンでは言い訳と説明の区別がない。
羨ましいほどの自己中だ。
いや自己中がスタンダードなので、そもそも自己中という概念自体がないような気がする。
人間の評価なんて周りのひととの相対的関係できまる。
遅刻の心理的メカニズム
以前大学の授業の初日に皆の前で必ずこういう事にしていた。
しかし、一週間後には定時になっても1名しか来ていない。
私はため息交じりにこういった。
ここがポイント!
「どうせ皆遅刻してくるだろう」と他人を自分の基準に合わせるのがフィリピン人の遅刻のメカニズムなのだ。
先生自体が15分以上遅刻してくるので、生徒もそれを見越して全員遅刻するのがフィリピンの大学の現状だ。
日本人は逆に他人の基準に自分を合わせようと努力するので、やはり考え方が真逆と言える。
セブで最もレベルも授業料も高いS大学に日本人の大学生がたまに通っているが、基本的に途中でやめてしまう。
私の知り合いの女性はやめる前にこう言っていた。
「先生は遅刻して来て、クラスメートはちゃらんぽらん。こんな環境に身をおいても時間の無駄だと思って。。。」
遅刻もみなでやれば怖くないというのがフィリピンタイムとかドヤ顔で呼ばれている遅刻文化の心理的メカニズムなのだ。
遅刻してくれてありがとう
フィリピンに来て私の中で起きた一大イノベーションはまさに「遅刻してくれてありがとう」という発想だ。
これはドタキャンでも同じような効果が起きる。
もともと誰かと会うということは他人と時間を共有することであり、自分ひとりで占有する時間を割くというリスクともいえる。
遅刻やキャンセルにより、自分で自由に使える時間が突然ボーナスのように貰えたのだから遅刻されたら「ありがとう」と感謝するのがフィリピンでは得策だ。
私の元教え子が自分から誘っておきながらドタキャンした事件があった。
当然飽きれながら憤り、しかし心の中でありがとうとつぶやいた。
私は即効で家にもどり、ドタキャンされた記事を書いた。
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【断言】やっぱ日本に行ってもフィリピン人の魂100まで~スッポカシの鬼
フィリピン人の魂100まで 日本で働いている元大学の教え子からクリスマスで暫らくセブへ帰省するので食事をしようと誘われた ...
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フィリピン人に遅刻された時に「どうもありがとう!」と心の底から思えるように遅刻を想定した代替作業の準備をぜひ行うことをお勧めしたい!
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