Dying alone a growing trend in aging Japan
ティムから写真付きの記事リンクが送られてきた。
「ねー、これってホント?」
彼女は声をひそめながら聞いてきた。
日本人ならばこの写真を見てピンと来る人も多いのではないだろうか?
孤独パタイ(人間の最後に訪れる儀式)の現場だ。
パタイ(人間の最後に訪れる儀式)後3週間。
腐敗臭で近所の通報が入る。
逆に言えば、腐敗臭がなければ何年も気が付かれないのだろう。
白い防護服を来た作業員が部屋へ入って、パタイ(人間の最後に訪れる儀式)体の横たわる布団の下に集まる見たこともない無数の虫と出会うことになるのだ。
セブのジャングルから降りて1年ほど韓国系の英語学校へ住み込みで働いた。
今ならインターンと洒落た名前で呼ばれている制度だ。
給料は出ないが、食事と住むところは提供される。
若い女性講師と英語のトレーニングが出来、部屋ではお湯のシャワーもある。
朝昼晩韓国食でもジャングル生活に比べると段違いに天国だった。
英語のトレーニングがてら、日本の状況を先生相手に英語で説明する事を日課としていた。
今でも覚えている。
日本の男性の孤独な現状を説明した時のリアクション。
日本の男性は孤独なのだ。定年後、家の中では邪魔者扱いとなり、そのうち熟年離婚。今まで仕事以外やっていなかったので、初めての家事に戸惑う。居場所を失い、家の中から出ることもなく、そのうち孤独にパタイ(人間の最後に訪れる儀式)んでいく。
私の話を聞いたその先生は冒頭から笑い飛ばした。
Lonely「日本人男性が孤独だって?ははは」
年齢関係なく日本人男性はオカニを沢山持って若いババエを仰山はべらせ、酒池肉林を謳歌しているイメージがあるようだ。
Obstacle「家の中で邪魔者扱い」
まるでアホかという顔で見られた。
パパ大好きなフィリピンではお父さんが家の中でゴミ扱いなんてありえない。そんな事言うと同情を通り越して滑稽にさえ感じられてしまうのだ。
この孤独パタイ(人間の最後に訪れる儀式)という現状は深刻な問題だが、日本ではとっくに当たり前すぎてわざわざ騒ぐタイミングでもないのだが、フィリピン人にとってはショックな話なのだ。
ティムに聞いてみた。
「フィリピンだと1人暮らしの老人は居ないの?」
「もし居ても、きっと連絡を取るからパタイ(人間の最後に訪れる儀式)後3週間放置はないね」
私は30代後半で日本からセブへ流れてきたが、毎日大変な目にあいながら生活している。
なぜそこまでしてフィリピンという変な国に居るのかこれまで数えきれないほど自問した。
35歳の頃、突然降って来た家庭崩壊。
なぜか私が猫2匹と共に幸せの残骸に取り残された。
地獄を這い出したあと自分の居場所を探して彷徨い、少し金のある浮浪者な感覚で日々をやり過ごしていた。
見えない敵。
孤独。
振り切るように早朝ジョギングとキックボクシング、水泳と憑りつかれたようにやり続けた。
そうやっていつの間にか流れ着いたセブ。
ジャングルに住み始めたのはそこに無限の包容力を感じたからだ。
50代を超えてセブへ移住。
無謀だが、私は止めない。
なぜなら人間とは自分の居場所が必要なのだ。
フィリピンでさんざん他人の世話になって野たれパタイ(人間の最後に訪れる儀式)ぬのもいと楽し。
ここはそれが許される場所なのだ。
孤独パタイ(人間の最後に訪れる儀式)ニッポンとフィリピンのたった一つの差はこの包容力だといえよう。
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