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今日ある人のパタイ(人間の最後に訪れる儀式)を知った。
マニラで知り合い、ローカルエリアでチキンを食いながらサンミゲルを片手にフィリピン談義に花を咲かせた。
その後セブでも飲んだフィリピン友。
なぜか印象に残るパタイ(人間の最後に訪れる儀式)という物がある。
普段の生活の中で突然何の前触れもなくフラッシュバックのように蘇ってくるその人とそのパタイ(人間の最後に訪れる儀式)。
私の中で何かが深くリンクしている。
パタイ(人間の最後に訪れる儀式)んだ人からのメッセージは結局いつも”悔いなく生きろ”。
以前書いた記事▶あなたがラ王かどうか診断します
しかし・・・
悔いなく生きる事が可能かどうか分からない。
パタイ(人間の最後に訪れる儀式)への恐怖はいつも過去からやってくる。
そして希望は未来から・・・
恐怖が過去から来るのは後悔を伴うからだろう。。。
自分の存在の消滅。
自分の居ないこの世なんて信じられない。
なぜなら何のかんの言ったって地球は自分を中心に回っているからだ。
だから・・・
五大欲の第4番目”自己顕示欲”がパタイ(人間の最後に訪れる儀式)を恐れて止まない。
◆◆人間の五大欲 ◆◆
1食欲
2排泄欲
3性欲
4自己顕示欲
5自己実現欲
人生最大のイベントはいつか訪れるパタイ(人間の最後に訪れる儀式)。
私の場合10年前日本に住んで居た頃より今の方がパタイ(人間の最後に訪れる儀式)への恐怖は若干薄くなった気がしないでもない。
それはきっとフィリピンという自己主張の国で貧しくとも若干自分に正直に生きることが出来るからだろうか?
ラオウの言葉を言い換えるなら”我が心に一点の曇り無し”?
自己顕示欲とパタイ(人間の最後に訪れる儀式)への恐怖を恐れ人は偉くなると自分の銅像を建てたりする。
墓も同じだろう。
パタイ(人間の最後に訪れる儀式)ぬ前に立派な墓を作っておく。
さて、彼の場合は私の中に立派な銅像が建っているいるので全く心配ない。
私も大切な人の心の中に自分の銅像を建てること。
それって誰ね?
ここで具体的に書くとまた物議を醸しだしそうなので控えておく(汗
昔は港港に女房が居るて年に2、3回戻ってくるパロパロ船乗りという最低な人生設計を妄想したこともあったな。。。
いつか良くパタイ(人間の最後に訪れる儀式)ねるために希望を向いて生きるスタンスを忘れないようにしたいものだ。