今日は全世界的に父の日で、私の住むフィリピンでもそうだ。
日本の一般的な感覚では父の日は母の日のおまけみたいなもん。
「お父さんの下着と一緒に洗わないで」
年頃の娘はある年齢になると父親を単なる家の中にいるオッサンとみなし始める。
オッサンは仕方なく臭いし、娘世代に気に入られる話題やセンスもない。
日本の場合、結婚して子供が生まれて暫くすると父親は義務の代名詞となる。
子供が成人すると「ようやく手が離れます」とほっとした表情を浮かべる。
まるで服役が終わった感じだ。
フィリピンに流れ着いた11年前。
最初に受けた衝撃的カルチャーショックの一つが親子関係だった。
フィリピン人女性からは父親の話がよく登場する。
そして、日曜日は謎のファミリーデーという名前で呼ばれ、いい歳したプリプリ娘と父親が楽しく食事に出かけたりする。
とにかく父と娘の仲がいい。
日本の一般的父娘の関係性を伝えたら驚いた。
「日本のお父さんって単なるオカニ稼ぐマシーンなの?」
このマインドの差は権利と義務のとらえ方にあると考える。
前回の大統領選の時に大学のクラスで生徒達に聞いた。
「選挙行くの?」
フィリピンは18歳から投票権がある。
「もちろん!」
全員がコーラス隊のようにハモった。
「誰がなっても君たちの生活たいして変わらないと思うよ」
日本人らしい絶望的意見を述べてみた。
「選挙権あるから使いたい」
うーん。フィリピンらしい答えだ。
日本だと、間違いなくこうなるだろう。
「面倒くさいけど、行かなきゃいけないよね」
選挙権を自分の権利ととらえるフィリピンと義務ととらえる日本。
この考え方が親子関係のあり方にも如実に表れているのだ。
フィリピンのお父さんは父親である権利。
日本は父親である義務なのだ。
そういえば、私は日本で型にはまった義務的な父親であった。
しかし、ある日とつぜん妻が娘を連れて実家へ戻へ戻った。
父親である義務から解放された。
しかし、街で見かける同世代の父と幼い娘が手を繋いで歩いている姿をみて羨ましくなった。
はじめて、父親であることが義務ではなく権利だと気が付いた瞬間だった。
そしてフィリピンでそれが確信のもとのなった。
父の日に思うこと。
誰でも子供は作れるが、父になれるわけではない。
父の日は父親として家族から感謝され祝ってもらうのではなく、自分が父親として存在していることに感謝をし、父が家族にステーキをふるまうべきだ。
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