フィリピンといえばアジア唯一のキリスト教国だという紹介をよく見かけるが、厳密に言えばそれは「ガセ情報」で元ポルトガル領だった東チモール(インドネシアとオーストラリアの間)も同じくカトリックが大半を占める典型的な元植民地国である。
スペインによる植民支配のコントロールに使われたカトリックへの改宗は人々を保守的に堕落させることに成功し、数百年に及ぶ植民地支配制度を成立させたのだった。
フィリピンでは人口の9割がカトリック信者であり、残りは若干のプロテスタントとイスラム教徒に分かれる。
このフィリピンというコテコテのカトリック国で理解しがたいカルチャーショックに出会うたびに、その根拠を自分なりに仮説をたてながらオブザーブしてきたのだが、詰まるところ、フィリピンのフィリピンである所以はこのカトリックの介在という部分に帰結してしまう。
そんな中、私はここフィリピンで稀に出会うプロテスタントの人に対する興味が止まらない。
プロテスタントの人の特徴
- 中間層以上が多い
- 遅刻しない
- 努力家かつ知的
- 禁欲的かつ理性的
私は別にカトリックが嫌いでプロテスタントが好きというわけではなく、「この人って珍しく真面目やなぁ」と思った人の大半がプロテスタントだったという単なる統計結果から興味へとつながったのだ。
たとえば、典型的タンバイだったティムの弟は刹那的で嫉妬深く分かりやすく言えば動物的な生き方をし、間違いなくドテルテ大統領にやられるような道を辿っていたのだが、あるきっかけでプロテスタントへ改宗し、人が変わったように勤勉になり、今では自分で小さなビジネスもこなす男になった。
私の中に蓄積されたフィリピンでの統計とティムの弟の改宗後の激変ぶりなど、プロテスタントはダメなフィリピン人に飲ませる劇薬ともいえる。
クリスチャンの謎
フィリピンでは一般的にプロテスタントは「クリスチャン」と呼ばれる。
キリスト教徒の全般をクリスチャンというと思っている日本人にとっては違和感のある呼び名だが、なぜカトリック信者はプロテスタント信者をクリスチャンと呼ぶのだろうか?
大学時代に「栗栖ちゃん」と呼ばれていた奴がいたが、そいつはその名の通り実家はカトリック教徒だった。
日本人にとって「クリスチャン」といえば志穂美悦子主演でヒットした「二代目はクリスチャン」を思い出す人は多いのではないだろうか?
伝統的なカトリックのシスターなので「クリスチャン」だと思っていたのに、フィリピンのシスターはクリスチャンと呼ばれない。
なぜだ!!
この理由についてフィリピン人に聞いてみたことがあるが、そういうキマリだとしか答えてくれなかった。
今回はこの謎に決着をつけたい。
プロテスタントという劇薬
私とティムが敬愛するA氏(57歳)はセブでも有数の富裕層で、サン・ライフの支社長の傍らフェリー会社と建設会社を経営する富裕層だ。
彼はもともと富裕層の出ではなく、ギリギリ中間層という家に生まれて、手にかけたビジネスは騙されて失敗するし、やとったメイドはすぐ孕ませるし典型的なダメなフィリピーノだったそうだ。
奥さんは子供を連れて逃げ出そうとしていたらしいが、知人のすすめでプロテスタントに改宗し、全てが根本的に変わっていったとのことだ。
何が一番違うかというと、プロテスタントの教会に集まってくる人という環境。
付き合う人が変わると人生が変わる。
カトリック時代は機械的にサントニーニョ教会へ行けば自動的に「Everything is going to be OK」と思っていたらしいが、周りの人に触発され、能動的に自分を同じレベル(神)に近づける努力を始めたことが今に至るきっかけだったという。
プロテスタントの集まりに潜入
プロテスタントと一口に言っても、様々なグループに分かれる。
A氏が所属するプロテスタントはCCFと呼ばれる団体で、以前はグランドコンベンション付近の建物を利用していたのだが、現在移転し、ノースリクラメーションのセブ医科大の近くの新しい建物の中で行っている。
金持ちの社交場のような感じだが、顔つきや見た目が庶民層とは明らかに異なる。
まとめ その1
実は先日ここへ行ったのは偶然だった。
たまたまその建物に入ってるシーフードレストランに立ち寄ったところ、CCFのミサが同じ敷地の建物内で行われており、集まっている人が庶民離れしていたので気が付いた次第だった。
そのシーフードレストランの客達もやたらと富裕層顔をしていたのに合点がいった。
次回はなぜフィリピンではなぜプロテスタントを「クリスチャン」と呼ぶのかという謎について迫ってみたい。
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