西暦2000年頃が変わり目
ここ近年でアジア語学留学の聖地となったセブ島。
留学をきっかけにセブ島ライフを経験し、移住してくる日本人も激増している。
昔は日本人の数も少なく、日本人は一週間に一度見かけるかどうかという感覚だった。
フィリピン人に対するイメージを日本人に語ってもらうとほぼ一致した見解となるだろう。
おそらくセブを知っている日本人にとっての印象はまさにオカマの多さと自己満足度の高い能天気なエンターテイナー性だろう。
旧友はハードゲイ
先日、マンダウエ市最大のS小学校を訪れた。
ティムと私の共通のバイヨット(おかま)のフィリピーノがいるのだが、彼はそこで7年ほど先生をしている。
私が彼と知り合ったのはかれこれもう10年前なのだが、当時彼は韓国資本の語学学校で先生をしていた。
その当時は東南アジアのイケメンといった精悍な顔立ちで、ふるまいも男そのものだった。
しかし、今思い返せば当時からバイヨットの片鱗はあった。
友達は全部女性。
それと私の顔を時々3秒以上みつめる瞬間があった。
彼とはなんとなくうまが合い、故郷のSugboへ一緒に探検に行ったり、楽しく付き合わせてもらっていた。
それから彼は数年後に髪を女性的に伸ばし、マイケルジャクソンを彷彿させるほど肌の色が急に白くなり、メイクもガッツリ施すハードバイヨットになっていった。
話し方もねっちりした真正バイヨットに変貌した。
そうなってしまうともう私にはアクセプトできないレベルなのでだんだんと距離を置くようになってしまった。
先日彼の働く小学校を訪れ100年ぶりな気持ちで再開したのだが、外観を除いては案外昔のままだった。
その日の夜、ふとティムに質問した。
私の故郷長崎の小学校でもクラスにオカマはいた。
ピンクレディの踊りを真似して踊ったり、スヌーピーグッズを集めたり、話し方が少し女っぽかったりする感じで、見た目は一般の男子と変わりがない。
これはティムが小学校時代にいたごく少数のバイヨットの様子と全く同じだ。
ではいつからフィリピンはこんな国になってしまったのだろうか?
2000年頃から急に変わった
ティムは懐かしそうに笑いながら状況を説明してくれた。
[st-kaiwa2]うーん。。。たぶん2000年頃から急に今みたいになった気がする[/st-kaiwa2]
[st-kaiwa1]すぐ洋楽に合わせて歌ったり踊ったりするのも昔から?
大きなきっかけがあるはずだが、2000年頃からオカマが市民権を得、いまのように堂々と闊歩し、レジをうちながらも踊りながら歌うフィリピン人が完成していったようだ。
アメリカの真似
1898年、アメリカはスペインとの戦争を宣言し、最終的にはパリ条約の中で、2000万ドルと引き換えにスペインはフィリピンの島々の統治を放棄することに同意された。
ここからアメリカの影響がとってつけたように始まる。
- 英語での教育
- ファーストフード
- 歌とダンス
- 民主主義
- 同性愛
- ドラッグ
- 銃社会
今の軽いチャラチャラした状況はアメリカ文化の模倣という言われ方をしているが、完全にアメリカの策略によって骨抜きにされている。
まず英語教育によって学力が落ちる。
意外にもこれを言いただしたのは10年程前に出会ったセブのタランバン地区にある某語学学校の先生だった。
英語は子供の頃から随時話しているので表面的な日常会話は問題ないが、そもそもネイティブでもない第二外国語的な英語で小難しい数学や化学の説明を受けても授業の内容は非常に薄く、教える先生も生徒も非常に大変で授業の進度も遅く結果として理解へと結びつかないという。
そして、2000年頃からさらに台頭してきた民主主義の暴走により、義務を無視した自己主張だけが尖ってきて、オカマは急増するし、街にゴミは散乱する放置国家となっていった。
ファーストフードの食後の放置やゴミのポイ捨てがフィリピンの文化みたいになっているが、少なくもとティムが子供の頃は街はもっと綺麗だったという。
貧富の差もアメリカの負の部分が暴走しているのだ。
こうやってフィリピンのネガティブを並べてみると完全にアメリカのチャラい文化に浸食されている。
アメリカの先住民族が侵略され伝統ともども失ったようにフィリピンも同じく同じ運命をたどるのか?
ドテルテ大統領の嫌米思想はフィリピンに伝統を取り戻すことができるのだろうか?
それとも中国に国ごと売り飛ばし売国奴と呼ばれる結末が待っている結末の方が濃厚な感じだ。
私は一介の外国人として物陰から密かに見学させていただくだけだが。
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