日曜日の朝はカワイイちゃんを連れてJollibeeかMacdo。
3歳までは圧倒的にJollibeeだったのだが、最近はMacdoに行きたがる。
どうやらハッピーセットの玩具がはまるらしい。
子供特有の移り気を見越し、現場でどっち転んでもいいように2軒とも並ぶJセンターに行くようになった。
そしてご要望のMacdoへ入った。
ここのMacdoの良さは日曜日の朝にも関わらず閑古鳥が鳴いていることだ。
バイヨットを除くスタッフは亀のように遅くサルのようにおしゃべり。
我々の前に3人居たので15分かかる見積もり。
客もその場で気持ちがコロコロ変わり、注文を撤回したりしている。
カワイイちゃんと脳内年齢はほぼ同じ。
Macdoに限らないがスタッフは決まって客が座ると付近の床の掃除を始める。
スナップを聞かせて靴まで掃除してくれる。。。
おかげで昨日の夕方のスコールで汚れた靴が少しきれいになったぞ。
最初は早く帰れと言われているようでイラっとしていたが、実は違うことが多い。
掃除は客へのサービスであり、エキジビジョン的なパフォーマンスなのだ。
本人は悪気どころか良いことをしている気持ちであふれている。
カワイイちゃんは玩具いじり、ティムは自分撮り、私はスマホの画像整理。
それぞれの時間を過ごした。
我々の前に一人の眼鏡をかけたフィリピーノがいた。
彼が先にドアを開けて外へ出たのだが、その時事件が起こった。
なんと、我々のためにドアを開けていてくれたのだ。
しかも満面の笑み。
フィリピンではドアを開けて出るときに後ろへ続く人を気にする人はいない。
それぞれが自分の権利のみ求め合う国では他者への気遣いは生態系のバランスを崩すことになる。
私がこの国で暮らし始めて最初に現地民から忠告を受けたのがTake advantageに気をつけろだった。
冗談抜きで前行くフィリピン人にドアを支えてもらったのは11年間で初めて。
しかも一生忘れられないほどの衝撃的笑みだった。
私はまだ一応日本人なので後ろの人を気遣った感じでドアを少し支え気味に退出するが、そこに笑みはない。
どっちかというと義務的にやっている気持ちが強い。
気持ちよく親切ができない日本人。
全部社会が求める義務だ。
私はMacdoで出会った11年に一人の奇跡の衝撃を経て自分を振り返った。
一般的に、私を含め日本人は世間体ありきで行動する。
少しでも失敗すると世間からバッシングを受けハチの巣にされる。
そして村八分文化により一旦外れると村社会へ復帰できないという恐ろしいルールだ。
赤ちゃんを抱っこした母親に席を譲らないという現象も同じマインドに起因する。
こういう母親を手助けするのに躊躇するマインド。
「余計なお世話って断られたらどうしようか」
「周りから良い人ぶってこの野郎とか思われるかも」
もし親切にして。。。だったらという心理が働き親切な行為へブレーキがかかる。
そのくせ終いには「助ければよかったな」と悶々と後悔する。
伝統的に失敗に対し罰を与える減点方式の社会システムがその複雑な心理を構築しているのだ。
日本人はドアの後ろの人に気を遣うが、心の底からの親切心ではない。
どうせなら相手が一生忘れられないほどの衝撃的笑顔を与えながら本当の親切として後ろの人の為にドアを支えたい。
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