私がフィリピンへ住むと決めた頃にはいわゆる世捨て人になる覚悟が必要だった。
国籍意識(ナショナルアイデンティティ)や学歴、経歴など今まで頑張って培ってきたものを全部真っ白にし、当然ながら携帯をはじめとするガジェット類も全部捨て、情報を一切遮断することになるのだ。
今のようにLINEで繋がったり、インターネットさえあれば世界中で今と同じ環境をSNSで維持できる状況ではなかった。
そうやって2年間セブの山の中で江戸時代のような生活を送っていた。
当初の心配をよそに、結果的に人生3倍得した気になった。
そのころ知り合いになったフィリピン人からは決まってこういう質問を受けた。
「Naa kay Friendster?」フレンドステアのアカウント持っている?
日本ではミクシーが盛んで、フレンドステアという単語は聞いたことがない。
それは当時フィリピンで流行していた出会い系SNSだということが分かった。
英語も現地語も自信がなく横文字を見る気にならない。
パソコンやスマホなどインターネットに接続するガジェットさえないので、その質問は完全にスルーしていた。
フェイスブックの前に流行った謎のSNSを知っている日本人少ないだろう。
世界には日本人が使っていないSNSが、60を裕に超える数存在し、それぞれの分野で利用されている。
それから2009年頃にはフィリピン人達はすっかりフェイブックへ乗り変えた。
山を降りて、今度はフェイスブックアカウントを持っているかと聞かれるようになった。
あるとき、知り合いが私のアカウントをサクサクっと作ってくれて、2009年遂にフェイスブックデビューを果たしたのだ。
毎日知らないフィリピーナから友達申請がどんどん来る。
来る物拒まず状態。
「Gutom ko 」お腹減った
と言われたら、なんだか放っておけず、ダウンタウンのガイサノメトロにあるジョリビーで数えきれないほどC1を食わせてみた。
山奥のフィリピン人と比べ街のフィリピン人は非常にギラギラして、常にグリーディーだった。
それから2011年頃から日本人の間でもフェイスブックのアカウントを作る人が出てきて、たまに日本人からの友達申請が来るようになった。
日本人とフィリピン人のフェイスブックの使い方は全く異なる。
日本は完全に業務連絡的で、自撮りして自分の存在をアピールする日本人は見た事がない。
なぜなら日本人にとって名刺がフェイスブックなのだ。
一方フィリピン人は「世界で一番美しいのは私よね?」状態で堂々とモデルや女優気取りでポスティングしまくる。
フェイスブック用の写真をキメポーズで撮影している様子を横目で見ながら「自己肯定&自己愛に溢れ過ぎる」と羨ましくさえ思うようになってきた。
時代はどんどん移り替わり、日本においてフェイスブックはオッサンとオバサンしか使っていない古臭いツールという位置づけとなった。
日本人のSNS
さて、2019年での日本におけるSNSの代表格といえばツイッターとインスタグラム、そしてユーチューブだろう。
最近でもミクシーは使われているのだろうか?
私は完全にミクシーには乗り遅れたので使ったことが一度もない。
なぜなら、日本の携帯番号を持っていないと登録が出来なくなっていたのだ。
セブの山を降りて、徐々にセブで日本人との交流も増え現在に至るのだが、私もSNSは一通り使ってみている。
実際使って感じたことを書いてみよう。
フェイスブック
現在無駄に4000人以上のフェイスブックフレンドがいるが、フィリピン人が9割を占めている。
いかにも出会い系の匂いがプンプンしそうな顔ぶれだ。
知り合った頃は19歳だったA子も今ではすっかり30歳を超えガイサノカントリーモールが良く似合うよう外見となっている。
ユーチューブ
2013年にモトボサツ勝手にブログセブ島編を書き始めた時に同時に大学で日本語を教え始め、ブログ記事ではどうしても伝えられない臨場感を出すために、補足的にユーチューブアカウントを作り肉声を配信してきた。
モトボサツぼやきシリーズ その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8
2014年当時はあまりユーチューバーという存在は聞かなかったので私は意外と先駆者だったのかもしれない。
自分のチャンネルの中で最も好きなコンテンツはコレ。
ぜひチャンネル登録お願いします
このチャンネルを通じてまだベイビー感が残る幼い顔を見ながらジャックダニエルと共に思い出に浸れる。
ぜひ小さいお子さんのいる方は歳をとった時の楽しみとしてチャンネル作成するのがおススメだ。
ツイッターの本質
私にとって謎の存在だったツイッター。
モトボサツブログとコネクトしているので自動的に記事紹介としてツイッターへ呟いていたが自分で能動的にアップデートしている気がしなかった。
先日、自らとりあえずつぶやいてみた。
ツイッターの世間からは無反応。
フェイスブックだと多い時は100以上のLIKEが貰えるが、ツイッターでは誰もLIKEを押してくれないことも多々ある。
そこにフェイスブックとツイッターの本質的な違いがあるのだ。
フェイスブックVSツイッター
フェイスブックはその名の通り、本人の顔や履歴書的個人情報が見える前提となっている。
つまり、匿名性が低いのだ。
リアルなコミュニティと本質的に連携し、オフラインと同じ性質を持つ。
「実際にお会いした方以外の申請を受け付けません」と書いている人も多いが、そこからもバーチャル性の低さを物語っているのだろう。
フェイスブックでいつもLIKEを押してくれている人とそうでない人の違いが自然に生まれる。
いつもLIKEを押さない人に限ってお願い事や質問を不躾にしてくる人は多い。
普段LIKEを押していない人の質問や依頼は却下することにしている。
なぜなら統計的にロクなことにならないからだ。
フェイスブックのLIKEはある意味「踏み絵的機能」を有するのだ。
一方、ツイッターは正体が見えない闇の世界ともいえるので基本的に無責任な状態が許される。
本人の顔を分からず、本名よりもニックネームが一般的。
思ったことをすぐに吐き出すための「たんツボ」だ。
一方ブログは少なくとも2000文字から3000文字でないと書く意味がないと言われているし、私も出来るだけ社会的背景と起承転結をハッキリとさせるようにしている。
そこがブログとSNSの負荷の違いだ。
コンテンツとしてのブログ記事を拡散するためのチャンネルがSNSだと思っていたが、昨今、SNS自体がコンテンツになっている。
フェイスブックとツイッター。
写真や一言メッセージだけでも完結できる。
どちらもこの気軽さがアドバンテージだ。
まとめ
SNSの唯一のルールは個人攻撃をしないということ。
そのうえで、自己責任の元で気軽に発言するのは非常に有効である。
フィリピンに自殺者が少ないのは、常に思ったことを100%口や態度に表す文化にあると感じている。
思ったことを極力我慢せず溜めないのは日本的な視点の場合、我慢を知らないネガティブなイメージが強いが、これこそが精神衛生を安定的に保つための条件であろう。
日本人にとってタブーとされている自己表現が許されるのがツイッターの役目。
「たんツボ」と汚い表現を使ってしまっているが、それはネガティブではなくポジティブな存在として捉えている。
LIKEの数とか気にせずツイッターで掃き出しまくろう。
ただし、個人名を出しての攻撃はご法度!!
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