名前の由来
「モトボサツ勝手にブログセブ島編vol2」を執筆管理しておりますモトボサツと申します。
まずこの妙な名前の由来ですが、「モトボサツ」つまり元菩薩ということです。
ずいぶん昔になりますが趣味で自動車レースをしており、日々タイムアップと年に数回あるレース参加に夢中になっていました。
スポーツ全般同じですが、レースを最後まで続けるには物凄い忍耐と集中力が必要です。
ある日、床屋の待ち時間に雑誌を読んでいたのですが、「座禅をすると集中力が付く」というコラムを発見し突然興味が湧きました。
早速座禅の出来るお寺を探し、うちから最も近い曹洞宗のお寺の座禅会に週に2度通い始めました。
座禅は目を閉じているように見えますが、薄めを開けて1m先を見つめます。
線香1本分つまり40分程度を2本やるのですが、結跏趺坐という座り方で微動にしません。
普段聞こえない虫の声とかクリアーに耳に入ってきます。
孤独な40分の間にすっかり虫の声がお友達になりました。
週に2度の座禅なのですが、前回聞いた虫の声と種類が変わり、最後は冬になり全く聞こえなくなりました。
たかが座禅ですが、こんなに季節を深くダイレクトに体感したのは生まれて初めてでした。
それから座禅が私の人生における重要な一部となり、縁あって九州の北九州へ引っ越した際に通っていた築800年ほどの古い山寺の和尚さんに「もうあなたは菩薩ですね」と言われました。
その日から菩薩を勝手に名乗り始めました。
セブ島のジャングル
実は10年連れ添った妻娘と別居をしてしまい、それから流浪に菩薩となり地球が棲家になって行きました。
付き合う女性は外国人のみというポリシーを自ら設定。
2007年からポリシー上縁のあったフィリピン人に連れられセブ島に流れ着きました。
セブといえば美しい南国のビーチを想像されてしまいますが、島全体を上空から見るとビーチより圧倒的に山が占めています。
#cebu island normal, flat and hilly x3 .stl maps of the #philippines with #riversystems are coming ... pic.twitter.com/6501WN8vth
— Bart Sakwerda (@BartSakwerda) July 11, 2017
私が移住したのは100年以上前に出来たダムの更に奥にある山深い集落です。
江戸時代を飛び越え縄文時代のような生活。
日本では自称菩薩でしたが、セブの山奥ではもう菩薩をノンビリやることは出来ません。
だから元菩薩「モトボサツ」というコードネームに変更しました。
フィリピン人は「ボサツ」のツが言えず「ボサチュ」となってしまうのですが大した問題ではありません。
カタカナで表記してしまったので日本人の方からは一体どこで切るのかとよく聞かれますが、正確には「モト、ボサツ」です。
セブ島では2007年から生活しており、途中1年間マニラに移りまたセブ島へ戻って来ました。
そんなにセブが好きなのかと聞かれますが、私がというよりもむしろセブが私の事を大好きなようで放してくれません。
プロフィール
個人名刺の裏には「バツイチ孤独を愛する〇〇才、セブ島へ流れ着き2年間ジャングルで生活する」と書いてあります。
セブ島を含む海外で出会う日本人ってなぜかバツイチが多いので名刺の裏の最初の部分にそれを書くと距離がグンと近くなるんですよね。
また今時ジャングルで生活する人も珍しいようでかなり興味津々という感じで色んな事を聞かれます。
それは日本人以外の外国人への自己紹介でも機会があれば言うようにしています。
高い確率で「Oh me too!」と言って握手を求められたりします。
血液型は義理堅いAB型!
大学時代の先輩の弟からボサツさんAB型なのに義理堅いよねって言われたのが衝撃的で、AB型って一般的に白状だと思われていることを知りました。
出身は長崎なので、ブログの中でも時々長崎弁でつぶやきます。
セブ島の日常生活ではビサヤ語、タガログ語で仕事は基本的に英語という感じで使い分けています。
同じフィリピンでもビサヤ語とタガログ語は通訳が必要なレベルで異なっており、日本語を含め4カ国語も話しているのですが、もちろん完璧ではありません。
コツは自分にとって最低限必要な表現方法だけを覚え、知らない単語や表現は会話の相手に聞くというポリシーです。
ジャングルを降りてセブ市のダウンタウンのど真ん中にあった韓国資本の語学学校に居候させて貰い、韓国人以外の全ての国籍の生徒のケアをするという大雑把な仕事を貰い1年間そこに住んでいました。
その学校のネイティブ講師をしていたジェフと親友となりましたが、当時英語ビギナーだった私は彼のネイティブ英語がほぼ分からず、どうやって会話をしていたかと言えばビサヤ語です。
妙に模写が上手い奴でセブのタクシーの運転手の話す英語のモノマネとかプロレベルで上手く、無駄に才能を生かしビサヤ語も私の同じレベルで話が出来たのでセブでカナダ人と日本人がビサヤ語で話すという奇妙な環境が出来ていました。
私はジェフの話す英語にしか聞こえないビサヤ語の真似をして周りを笑わせて遊んでいるうちになぜか英語の発音が上達し、それが妙な自信になり急に英語力が上がっていきました。
2009年、マニラに1年間だけ滞在したのですが、その時に現在のフィリピン嫁「ティム」と出会いました。
マニラの生活は第二の青春と呼べるほど楽しく未だに色んなシーンを思い出します。
しかし、仕事関係で紆余曲折あり結局セブに戻ってカナダの保険会社の代理店を始めたのですが、知人が働いていたセブノーマル大学で日本語の先生をしないかというオファーがありました。
日本語教師の資格や経験は全くなかったのですが、先生がいないまま授業が1月前に始まっており、時間がないからとりあえずやってくれというフィリピンらしいオファーでした。
相手が断れないオファーをするってゴッドファーザーみたいですね!
保険の代理店の傍ら大学の教壇に3年間立ちました。
エアコンの無い灼熱な教室で若いフィリピン人の大学生を相手に七転八倒の日々。
旅行管理者コースの生徒を受け持ったのですが、1クラス40名以上います。
しかもほぼ20歳前後の若い女性というセッティング。
最高に楽しかったし人生最大にモテました!!
その時の詳細は「モトボサツ勝手にブログ」のシーズン1の方に沢山書いてありますのでもしご興味のある方はご覧ください。
カワイイちゃん
2014年に娘が生まれ、私は「カワイイちゃん」と呼んでいます。
カワイイちゃんはセブ市のChong Hua(チョンワ)病院で生まれました。
ティムが立ち合い出産を一方的に希望し、噂によると絶対男性は見ない方が良いというアドバイスを見かけていたのでとても心配でしたが、強制的に立ち会う流れとなってしまいました。
NO!と言えない日本人さマックスです。
始めてみる出産シーン。
想像をはるかに凌ぐレベルで衝撃的であり、人間が生まれてくるのは左脳では知っていましたが右脳にモロ直撃です。
子供を生む母親もさえ子供が生まれてくるシーンは知りません。
私は最初から最後まで全部見てしまい暫らく後悔していました。
しかし、今では誰よりもカワイイちゃんの歴史を知っているということに対し大きな幸せを感じています。
また自分が知り合いもいないセブで生活を始め独学で現地語を覚え、またセブの大学で日本語を教えるようになり人間がどうやって言葉を話すようになるのか最初から興味がありました。
カワイイちゃんの言語的成長の歴史も本ブログで記録して行きたいと思います。
子供との会話は日本語にしたいと思ったのですが、セブという環境は現地語と中途半端は英語で、子供はどうしても母親の言語に支配されます。
思考力がしっかり定着する5歳までは英語で統一することにしました。
私も英語でカワイイチャンと会話をします。
6歳から日本語を取り入れ、ビサヤ語、英語、日本語のトリリンガルとして育てます。
さいごに
このブログは私がフィリピン生活でぶっつけ本番で体験した記録として書くもので、私の泥臭い経験が誰かのお役に立てたら幸いだと言う気持ちがあります。
日本とフィリピンの違いや現地の人と日本人の思考の壁、改めて分かる日本の良さなど毎日色んな気付きがあります。
私が普段使っている日常ビサヤ語も盛り込んで行きますのでぜひこちらもご覧ください。
今後ともモトボサツおよび勝手にブログセブ島編をよろしくお願いします。
2015年12月1日