立派な父と品のある息子
先日、私の目の前に身なりの立派な少年が新聞を読んでいた。
挙動の安定した立ち振る舞い。
知性の証だ。
フィリピンは分かり易い身分社会。
襟付きのシャツを常用することで自分の身分を明らかにしようとする古典的な習慣がある。
暫くすると彼の父親が座ってきた。
歳の頃はそうさのぉ、43歳位か。
伸びた背筋がなんとも理性と威厳のを物語っている。
さぞかし立派な仕事をしているのだろう。
嘘、裏切り、虚栄、束縛、言い訳、無責任、モラルハザードに満ち溢れたフィリピン。
これらのキーワードを紐解くと、全ては父親の倫理観に帰結する。
フィリピン人が皆だめなわけではない。
私の記憶をたどると、嘘をつかない立派なフィリピン人は親の存在が非常に大きい。
単に厳しいだけでは利己的なだけだ。
そこには理性と倫理の両立が根拠となる。
立派な父親のいる家庭で育つと嘘をつかないフィリピン人が出来上がる気がする。
シングルマザー量産国フィリピンでは父親は数回変わるのが普通だ。
中には義理の父から乱暴されるケースも多く聞く。
そんな環境で育つと倫理観のかけらもない人間になるのも無理はなかろう。
40過ぎの子育てを通じて改めてわかることは多い。
母親の役割は動物として子供を成長させ保育する事で、父親は後付けの人間らしい部分をクリエイティブする役割があるように思える。
超自我は、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想などと関係する人柄(パーソナリティ)の一部分である。超自我は、父親の存在や文化的な統制を、象徴的に内在化させたものである
フロイトのSuper Egoにも父親の役割について道徳、倫理的側面について触れられている。
ダメな男だらけのフィリピンで女性は犠牲者扱いされることが多いが、ダメな息子を作るのは母親だ。
父親不在のフィリピンでは、母親が男の子を動物的に溺愛し、無責任男に育てる。
その男と結婚する女性が苦しむのだが、その女性も自分の息子に同じことをし、遠隔的カルマは続いてゆく。
私もカワイイちゃんに創造性とモラルをインストールをすべく、立派なお父さんとして努力していかねばならない。
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