モトボサツ的

【唯一の痕跡】母の死と備前長船勝家

投稿日:2018年4月21日 更新日:

先日、母の死去を知り眠れない夜を過ごした。

数年前に聞いた弟の携帯番号とラインIDは以前使っていたソニーのスマホが壊れデータリセットしたら全部中身が消滅し分からなくなってしまったのだ。

唯一分かっている長崎の実家の電話番号。

自分の人生で「+81」という国番号を入力することは滅多にない。

親の葬式に出なかった長男だ。

どんなに責め詰られても仕方がない。

そんな覚悟で朝一から電話を掛けたのだが、誰も出なかった。

夜分に何度かかけたがそれも応答なし。

翌日も同じことをしたが、ダメだった。

もう本当に音信普通決定か。。。

更にネガティブな感情が沸き上がった。

思い切って弟が書いているブログのコメント欄「モトボサツ」というコードネームでLINE IDを添えたメッセージを入れてみた。

なんと翌朝弟からメッセージが来た!

簡潔なあいさつ文と母親の葬式の写真や遺影がメッセージとともに添付された。

辛過ぎる。

涙を流す余裕すらない。

親が亡くなるのは初めての経験だ。

現実感が薄いまま不思議な一日を過ごした。

その夜、弟へ慣れないLINEを使いコールしてみた。

闘病から葬儀まで1人でやった弟。

電話に出た声は意外と普通だった。

不甲斐ない兄貴を責めることなく、逆に気遣いすら感じた。

しばらく話してみた。

母のパタイ(人間の最後に訪れる儀式)因はやはり癌。

「うちは癌家系やけんね。。。」

母は昔から口癖のように自分の死に方を予見していた。

「刀はセブ島に持って帰れんとですか?」

疎遠になってしまっていた長崎に一つだけ残してきたもの。

空手と居合で長年業物の真剣を使い続けてきた。

備前長船勝家 二尺三寸。

それは戦国時代に作られ加賀の旅館で大切に保管されていたものだった。

私が大学生になり初めてのアルバイトで得たお金の使いみちは刀の上研ぎだった。

刀の研ぎといえば岐阜県関市。

そういえば、刀だとクロネコヤマトは配送してくれないので、農機具と書いた記憶がある。

弟はそのモトボサツ伝来の得体のしれない日本刀を何とかして欲しい。

それと同時に海外へ日本刀を持ち出す方法を添付してきた。

しかし、日本の役所が美術刀という証書を出してくれてもフィリピン政府が輸入の許可をしてくれる気がしない。

だから弟に処分を任せることにした。

つづく。

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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