母の四十九日が5月19日午後12時より長崎市の平安閣プリエールで行われた。
長崎育ちの私としては昔の平安閣と言えば結婚式のイメージがある。
プリエールの女性社員の方によると結婚式自体の数が減ってきており、さらに規模も身内だけでひっそりと行うスタイルが一般的らしい。
結婚式の披露宴の隣で葬式を行うのが今風と言えるのだろう。
まず父と弟が会場へやってきた。
父や弟とは5年ぶり、母方の親戚達とは30年ぶりの再会である。
弟へ少しばかりの心づけを渡し、暫く母の話をした。
母の最期の願い。それは離婚して旧姓に戻り、父母や兄の眠る墓へ一緒に入ること。
30年前、父が愛人との生活を始めた。それから弟と生活するまでずっと独りだった。
「いや~、兄ちゃん、いきなり言われて役所に手続きしたあと、銀行の通帳やら変更するとの大変かったばい」と弟は言った。
弟は忙しい仕事の合間をぬってそんな作業までし、大変申し訳なく思っている。
それから母方の親戚がどやどやとやってきた。
ご対面のシーンはタイムマシーンで30年先の未来へ行く映画さながらだ。
お互いの持っているイメージは30年前の記憶のまま止まっており、親戚の叔父さん叔母さんはすっかり高齢者となり、高校生だったはずの従弟達もすっかり
立派な中年として社会の核になっていた。
自分だけが歳をとったのではない事がわかり何となく安心してしまった。
私と三日違いで生まれた同じ年齢の従姉はフランス人のハズバンドを連れてきた。
ティムとカワイイちゃんを連れていたので、法要へ呼ばれた住職から「ここは国際的ですな」と言われたのだが、私はなぜかピンとこなかった。
それは、雑多なフィリピンで過ごすうちに外国人がどうのという感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
従姉にそのフランス人のどこが好きなのかと聞けば穏やかで優しいところらしい。
私が言うのもなんだが、男のチョイスとしてそれは大正解だ。
予定通り12時オンタイムで法要が始まった。
フィリピンタイムに慣れるとオンタイムで始まることにいちいち驚きを隠せない。
簡単なお経や説法が20分で終了。
それから食事となったのだが、まるでフランス料理のように焦らすように出てきた。
一気に胃袋へ流し込むフィリピンのやり方に慣れているせいかあまり食べた気にならなかった。
14時半に法要が終了し、そのまま母方の墓へと納骨へ出かけた。
墓石には亡くなった歳が刻んである。
祖父は70歳、祖母は86歳、母の長兄は71歳、母は73歳でなくなっている。
このデータが示すものは祖父の系列は70代前半が寿命ということだ。
これを見た瞬間、自分の寿命は70歳付近だと心のどこかで覚悟した。
法要の席で私の席の向かい側に座っていた母の次兄がこう言った。
「俺はさ、人間の寿命って最初から決まっとると思うとさね」
健康に気を付けてタバコも吸わずにポーツもしていた長兄は挙句に71歳で肺がんで亡くなった。
一方、不健康極まりない無茶な生活を続けて来た次兄自身はゴルフ場の近くに家を建て、悠々自適にゴルフ三昧な生活をしている。
きっと祖母系の寿命を引き継いだのだろう。
寿命が最初から決まっているという考えは人間を楽にする。
成田から福岡へ移動中に読んだ機内誌で読んだ一節。
「白髪染めを止めたら人生楽になりました」
日本では「努力」という文字は素晴らしさの象徴だ。
しかし、いま色んなことをひっくるめて思えば、実はあの努力という悪あがき的概念自体が人間を辛く縛っているのだ。
そういえばフィリピンには努力という文字は無い。
貧乏に生まれたら一生貧乏のまま。
そして好きなだけ食い寝て遊ぶ。
そして終いには幸福度は世界トップレベル。
もし日本人が本当に幸せになりたいのなら健康志向を捨て、寿命説に委ねた人生に切り替える必要があるような気がする。
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