日本とフィリピンの違いを言い出すと果てしないのだが、この根本的原因は日本とフィリピンは人生の方向性が真逆だ。
それはどういうことかと言えば、主体がだれかということ。
一般的に日本人にとって人生の主語は常に他人。
世間から見て一体どうか、自分の言動が他人へどう影響するのか。
他人が人生の主人公となる。
一方フィリピンは自分自身。
自己都合200%の人生なので、自分にとって都合が良くなるには他人をどう利用すればよいか。
正に水と油の方向性。
長崎の宿BBnagasakiは新地中華街の直ぐ境界線にあり、そこでチャンポンを食べないわけにはいかないだろう。
どの店も大して変わらない気がするが、最も有名な江山楼で無難に食べることにした。
上チャンポン1500円。
リンガーハットと比べると強気な値段だ。
しかしどの店もほぼ同じ値段設定なので、ひょっとして華僑カルテルで決まっているのだろうか?
角煮と春巻を追加で注文し、清算した。
日本は当たり前だが、レジまで伝票を持っていきそこで支払いをするのだが、ついつい、手を挙げてウエイトレスを呼ぼうとしてしまう。
ふと我に返り、ここは日本なんだと自分へ言い聞かせる。
伝票を見ると税込みで3780円。
私はレジへ行き5000円札を一枚出した。
するとレジにいた割烹着のおばさんがこういった。
「細かいのはありますか?」
一瞬耳を疑った。
まるでフィリピン人みたいだな。。。
フィリピンでは常に釣銭の用意がされていないので、客へ小銭を常に要求するのだが、日本でそれを言うと店の恥だ。
流石に新地は日本であって治外法権のチャイナタウン?
そう思った瞬間瞬間、衝撃が走った。
「いや、違うばい!」
あのおばさんは小銭で私の財布が重くなるのが可哀そうなので、負担を減らすように小銭を出させる機会を与えてくれようとしていたのだ。
時間に追われる日本人は小銭入れから小銭を細かく用意する時間さえ惜しむ。
だからいつの間にか小銭入れはパンパンになり重くなる。
日本で生活してそれを痛感した。
新地江山楼の気遣いは通常よりも一枚上手だったのだ。
そんなことも気が付かないほどフィリピンナイズされてしまっている自分を相対的に気が付いてしまった。
日本人はフィリピン人とは真逆へ向かう。
常に顧客主体の日本。
一方、自分の都合が常に中心で他人へ甘えるフィリピン。
両者が交わるにはどちらかの妥協と努力が必要だろう。
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