2009年10月。
セブの山を降りた後にお世話になったのが韓国資本の語学学校だった。
今でこそフィリピン留学のメッカと呼ばれるセブ島では日系の語学学校が数えきれないほど設立され多くの日本人留学生が英語のレッスンを受けているが、当時はまだ韓国資本の学校へ日本人がお邪魔させていただいているような時代だった。
留学費用も日本人は韓国人の倍近く取られていたという事実はあまり知られていない。。。
私がお世話になったCという語学学校は9割以上が韓国人留学生で、たまに間違ったように日本、中国、香港、タイの留学生がポツポツとやって来た。
有難いことに韓国人のオーナーや校長とは特に摩擦もなく日頃から穏やかに過ごすことができた。
ある日、オーナーから新しく開店した韓国レストランの開店祝いへの誘いを受けた。
その語学学校の卒業生の若い韓国人男性がセブでレストランを始めたらしい。
オーナー、校長、韓国人マネージャとともにその店へと向かった。
ラホッグ地区のマルコポーロへ向かう途中の変な場所にその店はあった。
CHOSUN CHICKENと書いてあった。
早速のフィリピンあるあるでチキン料理が出てくるのに1時間以上もかかった。
料理が出てくる長い待ち時間に壁に掛けてあったCHOSUN CHICKENとうロゴを見ながら韓国人オーナーの女性が私に言ったことが今でも忘れられない。
「CHOSUNというのはあなたの国が韓国をさげすんで呼んだ名前なんだよね」
型どおりの反日マインド爆発。
なぜそんな名前を自分の店に付けるのか謎だが、反骨精神を出したかったのかもしれない。
多勢に無勢の中でそんな屈辱的な事を言われたのだが、アウェイな韓国料理やで闘っても仕方がない。
特に私個人を責めているような顔をしていないので、やはり国の施策としての刷り込みなのだろう。
モトボサツ得意技
私は座禅で培ったマインドコントロールで心をフリーズさせた。
朝鮮について
韓国併合によって大韓帝国が消滅すると、日本は韓国の地名を朝鮮とし[12]、朝鮮に本籍地を有する日本臣民となった者が法律上、「朝鮮人」と称されることになった。本国(内地)と植民地という力関係を反映し、「朝鮮人」やこれを略した「鮮人」という呼び方には見下すようなニュアンスがこめられがちであるため、「朝鮮出身者」といった遠まわしな言い方がしばしば使われる。朝鮮総督府は内地人に「鮮人」と呼ばないようしばしば呼びかけ、多くの文書で「朝鮮(半島)同胞」との呼称を用いた。旧陸軍においても朝鮮人兵士に対して「朝鮮人」や「鮮人」の語を使用しないよう指導がなされていた
日韓の複雑な関係性はもちろん承知していたとは言え、普段の様子からは想像もできないガチな反日発言を浴びせられ、はやり日本と韓国は仲良くなれないのだと痛感した。
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