日本人は優しくて、韓国人は優しくない?
私は海外へ住み始めて日本人という存在を距離感をもって客観的に見るようになった。
日本人は優しくて、韓国人は優しくない。
フィリピン人からそのような評判を聞いてほくそ笑みながら自己満足に頬を染める日本人は多い。
しかし、私は知ってる。
下馬評はさておき、フィリピンではヒール的な存在である韓国人の方が美女を多く食っているという事実。
日本人が言われて喜ぶ優しさとは果たして正義なのか?
Noと言えな日本人。
オカニ(お金)をホイホイくれるから優しいと言われているだけなのではないか?
先日フェイスブックで下記の投稿を見た瞬間、稲妻が走った。
フェイスブックの投稿
そして、私はかつてセブで白馬の王子に助けられた時の事を思い出した。
自分だったら困っている人をシンプルに助けただろうか?
周りの反応を気にして一瞬躊躇したのではないだろうか?
日本人のマジョリティに対抗する殻は分厚い。
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他のお客さんの迷惑になりますから
コレだよコレ。
これは良し悪しの観点はさておき、日本人あるあるなのが他のお客様からのリアクション。
もし私が上記のJRの係員だったら倒れた人の安否より、やはりその他大勢の客の事が気になったかもしれない。
日本人の正義とは絶対的良心というよりも安全なマジョリティへと従う事なのか?
東日本大震災のために大勢の日本人ボランティアが被災地で人助けをした。
でも、地下鉄で困っている人には冷たい。
なぜだ?
同じ民族なのにこの行動の差は一体何なのだろう?
人助けをするための条件とは?
一方、震災の時のフィリピン人からの質問が今でも忘れられない。
数年前マニラのある語学学校の先生に言われたことがいまだに記憶に新しい。
東日本大震災の時にわたしはマニラの語学学校で働いていた。
学校の生徒達の中にはちょうど関東以北から来た人もいて、家族と連絡がなかなか取れずに不安に思っていた。
フィリピンでもTVで津波の様子や、日本人が結束して東北被災地へ向かい、無償で救援物資の提供を含めボランティアを行っている様子を流していた。
その時に「日本人って変わってるよね。フィリピン人なら現地にいろんなもの持って行って普段より高く売るよ」
太ったフィリピン人講師から怪訝そうに聞かれたのが今でも忘れられない。
でも地下鉄では倒れた人を助けないんだよ。
謝罪文化
フェイスブックの投稿記事で「薄れる意識の中謝罪を続けるしかなかった」という部分が「ザ・ニッポンジン」。
他人へ甘えることがそもそも迷惑という名の社会悪。
>駅でわざとぶつかってくるやつはたくさんいるらしいが、倒れた女性や幼児連れで苦労しているお母さんを助ける日本人は皆無だと聞く。それどころか「迷惑そうに」されるらしい。
日本人は「他人の迷惑」という呪縛に縛られる。
お一人様の文化がすっかり確立し、他人の世話になることはネガティブな出来事だ。
そこで他人に迷惑をかけることを気にするあまり、助けられる事を極端に恥じる。
また、下手に助けようとする人がいたらおせっかいな人扱いされるという独特の悪循環。
社会的マジョリティに乗って「良い人だと思われる」波には乗れるのだが、絶対的な慈悲心があるというわけではなさそうだ。
駅では冷たいのに震災のボランティアに行く理由とは?
地下鉄の駅には冷たい人ばかりがいるのか?
日本人が人助けをする条件とは一体。。。
日本人という不思議な民族の謎は深い。
しかし、皆本当は困っている人を気持ちよく助けたいのだ。
私もそうだ。
バスや地下鉄でお年寄りや障害者に席を譲りたいけどできない心理的摩擦がある。
これから先、外国人がどんどん日本へ移住し、日本的な心理的均衡はどんどん崩れてゆくのだろう。
ぜひ弱者に絶対的にやさしい社会へと進むことを祈る。
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