2019年10月に行われた体操世界選手権の床運動にてフィリピン人初の金メダリストが誕生した。
床の演技を見たのだが、素人の私からすると芸術的というよりも精密機器のような絶対的安定感に感動した。
技術を支えるメンタル面での強さもあるのだろう。
フィリピン人の体格は正に体操選手向きだという話をよく聞くが、実際なかなか体操というカテゴリーで名選手が出て来ない。
陸上や水泳を含め、国際大会での活躍が一切見られない。
そこで今回の体操床での金メダルは歴史的な快挙となっている。
フィリピン初の金メダル、コーチは日本人 世界体操
喜ぶ19歳のそばでしゃがみ込んで感極まったのは、釘宮宗大コーチ。日本体操協会の派遣でマニラで指導していた6年前に出会ったのがユーロだった。
ここで注目すべき事はコーチがフィリピン人ではなく、日本人だということだ。
実はフィリピンはアメリカのように天才を生み出しやすい土壌だと感じている。
なぜなら、日本のような中間層を生み出す画一的な社会的ひな形にハメられることなく、個性や才能を堂々と追及できる環境なのだ。
しかし、残念ながらダイヤの原石を磨く人がフィリピンにはいない。
うちのカワイイちゃんが通っている体操教室も、セブではそこしかないので、わざわざタリサイ市の遠方から時間をかけてやってきている。
他に競合がないので蚊がブンブン飛ぶボロボロな施設のわりにレッスン料が高い。
月額4000ペソ。
ローカルなメイドが1名雇えるぞ。
フィリピン国内の素材だけでは天才は育たない。
あのボクシング世界チャンピオンのマニーパッキャオもアメリカのトレーナーと長年契約している。
一応プロという名前の職業はあるが、中身は素人とあまり変わらないというのが実感だ。
その辺で髪を切っている美容師だって一定時間以上のプログラムされた訓練を受けているのではない。
- タクシーの運転手がプロだと言えるか?
- マッサージセラピストはプロの技だと言えるか?
- 料理人はプロだといえるか?
- ドクター、弁護士はプロだといえるか?
私は2013年から2017年にかけてセブの大学で日本語の授業を受け持っていた。
一応肩書は教授ということにしてもらっていたが、給料は家賃を払ったらゼロになる程度だった。
当たり前だが、日本人なので日本語に関してはネイティブスピーカーなのだが、フィリピン人と同じ給料ということに疑問を抱き始めた。
しかも労働ビザは自分で手配し支払いまで行っていたので、実質ボランティア以下という身分だった。
ユニバーシティという一応現地教育機関の中では最高峰のところに身を置き、フィリピンのローカル社会の中にどっぷりと浸かって様々なことを痛感する日々。
そして、フィリピンという国に足りないのは教育の底上げであると日々痛感していた。
ある日、九九が出来ない生徒が多いことに気が付き、日本語で算数を習うという方向性へ切り替えた。
まずは四則計算が出来るように中間、期末試験では日本語で答える算数の問題を必ず入れるようにした。
当時の様子が分かる記事
少し余談だが、フィリピン人は話が長いと言われる。
3分で終わりそうな話を15分位かけて説明し、また話の焦点がズレやすい。
それは数学的なの理論構成力とタガログ語またはビサヤ語による影響が大きいと感じる。
つまり、現地語は感覚的または感情的な表現がマジョリティを占め、三段論法的な論理的思考展開は苦手。
自分がタガログ、ビサヤ語、英語、日本語を話しながら自分を客観的に観察して得た確信だ。
フィリピン人が良くしゃべるというのは実はこういった背景がある。
せっかくネイティブスピーカーである日本人である私が日本語の授業を安月給で請け負うのに、大学側はありがたいという姿勢もあまり見せず、外国人としての義務ばかり押し付けてくる。
つまり、外国人の力は必要がないという姿勢なのだ。
しかし、実際は素質がある選手がいてもフィリピン国内のリソースでは国際大会で上位入賞は難しいというのが現実なのだ。
フィリピンがアセアン最低IQ国から浮上するには今回の金メダリスト誕生のニュースからも分かるように、フィリピン以外の知恵や技術が絶対に必要なのだ。
ODAのような寄付ばかり喜んで受けているうちは真の発展は無理だろう。
プライドが高いと言われる国だが、本当のプライドはどこに?
-
【女の園】セブ島の唯一のGYMNASTICS(器械体操)は桃色吐息~ビジネスチャンスかも
私は小学校の頃、勉強も学校も大嫌いだった。 自分で言うのも何だが、その代わり運動神経だけはクラスでも飛びぬけて良かったの ...
続きを見る
この記事が良いと思ったらブックマークしましょう!
もしよかったらランキング応援クリック1回ハゲしくお願いします!!
広告主募集中