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セブといえば英語だろ?
昨日の記事ではフィリピンという国に全く興味がないくせにフィリピーナと付き合っていたという妙な話を書いたが、そんな変態は日本中探しても私位しかいないだろう。
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【自己紹介シリーズ】フィリピンなんて野蛮そうな国に全く興味が無かった
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キックボクシングの修行の一環としてヤバイ国フィリピンを訪れたわけだが、思わず住みたいと呟いたのが子供だらけの集落。
当時5歳だった娘と引きはがされ、父と娘という縁に飢えていた頃、セブの山奥で純粋な子供達の目を沢山見てしまったのだ。
60歳を過ぎるまで日本で生活し余裕を持ってフィリピンに移住するか?
いや、今しかないだろう。
私は30代でしか出来ない経験を選んだ。
フィリピンで生活している日本人の8割、いや9割方が英語でコミュニケーションをとっている。
しかし、私は成田ーマイアミ事件のあと英語とはキッパリ縁を切りビサヤ語一択になんのためらいもなかった。
わざわざ高いオカニ(お金)を払いセブにわんさかやって来ていた英語留学生からするとかなり意味不明だと思うが。。。
はじめの一歩
ビサヤ語習得のためのテキストブックもスクールも無い中でどうやってビサヤ語を身に着けたのか?
ここが非常に重要なポイントだ。
戦略はただ一つ。
現地の人の真似をするだけ。
真似をすると言ってもいきなり言葉を真似するのは難しい。
出来る事から始めた。
- 歩き方を真似る
- 笑い方を真似る
- 服装を真似る
- 眉で知り合いに挨拶する
- 眉でYesを表現
- 口をへの字にしてNoを表現
- 女子へのスキンシップを真似る
戦略もなクソも無く出来ることから真似しはじめたのだが、これが大当たりだった。
なぜなら見た目から入ることでフィリピン人に成りきるためのスイッチが出来上がる。
格闘家の人であれば分かると思うが、相手と向き合ってゴングがなると闘争スイッチが入り別人になる。
そんな感じで私はフィリピン人スイッチが入らないと現地語がスムーズに出てこないタイプなのだ。
自己紹介を丸覚えしろ
見た目の模倣が右脳へ刷り込まれたら、今度は言葉の模倣へと移る。
しかし、文法や動詞の変形など勉強っぽいことは一切しなかった。
いや、誰も理論的に教えてくれないので、できなかったという言い方の方が正しいだろう。
生活に必要なセンテンスを丸覚えするだけ。
例えばジャングルに住み始めた頃は家の人が珍しがって私を連れ回し色んな人に紹介した。
そのたびに眉を使って現地風の挨拶をするのだが、名前くらいしか言えなかった。
相手からの質問はだいたい決まっていた。
「この人って中国人?」
「独身?」
「フィリピンの食べ物はダイジュブ(大丈夫)?」
お決まりの質問を受ける前に定番の内容を丸覚えして自己紹介しておけばスムーズだと考え、山の麓に住むsオバサン(尻にインジェクションして私に見せびらかした元ジャパユキさん)に3パターンほど自己紹介文を作って貰った。
まず、パリホッグ パミナワコ(俺の話を聞いてくれ)を言うと相手は神妙に話を聞く体制になる。
そこから丸覚えした自己紹介を披露するのだ。
- 1度目の相手には名前、年齢、国籍などプロフィール的な内容
- 2度目の相手にはフィリピンの好きな食べ物と好きなビールの銘柄
- 3度目の相手には日本とフィリピンの違いについて
sオバサンは発音に厳しくかなり矯正された。
お陰で自己紹介を披露する時に発音がニンドットカーヨ(素晴らしい)と褒められまくった。
子供達が先生
セブのジャングルでも早朝からジョギングをする習慣は止めなかった。
なぜならキックの修行としてセブに来たのだから。
麓町まで20分で山道を駆け下り、40分かけて駆け上ぼり、最後はヤシの木に登って実を二つ落とすのが日課となった。
山の子供も随分離れたところにある学校に通っているのだが、学校嫌いな不登校の子がいるのだ。
元学校嫌いの日本人が一緒に行くと面白がって登校するということで私が毎朝各家庭を訪ねて引率する担当となった。
そのうち若い学校の先生と親しくなり、家に誘われたりするうちに怪しい関係に陥りそうになったが狭い世界でそんなことになったら元カノTの弟にヤラれてしまうだろう。
衝動を抑えつつ、その代わり教室の後ろに私の席を作って貰い午前中だけその先生の授業に参加させて貰うことになった。
フィリピンは小学校の頃から全ての授業を英語で受けると言われているが嘘八百で特に公立小学校の会話は8割が現地語。
高級な私立だけがEOP(英語ポリシー)なのだ。
私にとって小学校はビサヤ語の語学学校みたいなものだった。
子供たちが使う頻出単語が耳に入って来る。
大きいはダコ、小さいはガマイ。
机に膝をぶつけるとサキットカーヨオイ(メチャ痛ぇぇ)。
どれが主語で述語なのかという区別は分からないが頻度の高い表現を真似して使っているうちに一定量が溜まり応用が利くようになった。
そうなるとビサヤ語のリスニングもスピーキングも急速に上達し、井戸端会議でも大体何の事を話しているのか概要が分かるようになってきた。
文法は一切勉強していないが、今では文法的な説明が結果論として出来るのだ。
今思えば、たまたま勉強する環境が全く整っていなかったのでフィリピン人の模倣という手段を取ったのだが、それが大正解だった。
私は勉強するのが大好きだったのでもし教材があれば同じパターンで失敗していただろう。
単語と文法と読解を吐くほど勉強しても話せるようにならなかったのは自分自身の苦い人体実験として証明されている。
まとめと考察
現地の人の生活をすべて模倣するという方法で現地語が話せるようになった経験は他言語にも応用が利くものだと確信している。
目で見える部分の模倣は日本人の外国語学習者にはスキップされがちだが、木で言えば土の下にある根のように不可欠な物であると考える。
その国特有の表現方法は言葉のみならず、歩き方や表情、スキンシップや食べ方まで全てが言語とコネクトしているのだ。
つまりその国の人をトータル的に模倣しかければ流暢に話せないと断言してもよいと思う。
人間の思考は言葉によって作られる。
つまり言語が違うと思考は異なる。
彼や彼女という表現のないビサヤ語が思考に与える影響は大きく、これは認知心理学の分野へと繋がる問題であると確信する。
外国語を流暢に話たい人が目指すべきは言語的なスイッチの構築。
総合的な模倣によってなりきりスイッチが構築されるのだ。
私はビサヤ語を話す時にフィリピン人スイッチが入らないとスムーズに話せない。
英語もそうだ。
これに関しては更に深堀りしてみたいと思う。
つづく。
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