問題解決しないフィリピンの闇
先日、フィリピンのゴミの分別関連の記事を書き、多くの方からコメントを頂いたが、私が住むC級ビレッジ(フィリピンの住宅地の総称)では先月あたりから急にゴミの分別が義務付けられるようになった。
ゴミの収集が1週間に0.7回位しか来ないので、そうなると生ごみの処理に困ってしまう。
基本的に家事関連はティムの守備範囲となっているので出来るだけ口を出さずにやらせているのだが、頻繁に小さい問題が勃発する。
ティムのチョイスによればキッチンに置く生ゴミ用のゴミ箱はトイレによく置いてある上の蓋部分がフレキシブルにプラプラと開くタイプのなので、そこに小さいハエが湧いてどんどん部屋の中を飛び回るようになった。
終いには、2Fの私の部屋にまで小さいハエが飛ぶようになり、PC作業中の1分間に100回は小ハエを振り払う動きをしなければならない。
応急処置として蚊のいなくなるスプレーをゴミ箱内とその周辺に振り替えたのだが、元来ハエと共に暮らしているフィリピン人にとっては小ハエなんてどうで良い存在のようだ。
ティムは凄い不本意な顔でそう言い放った。
福岡とか熊本だとそんな感じとです
日本人夫婦だとここで「なめんじゃねぇ」とビンタが飛ぶのかもしれないが、ここは地獄のフィリピン三丁目。
砂で作った城のように慎重な扱いが求められるのだ。
2日に1回、生ゴミを外の大きなゴミ箱へ移しているのが本当かもしれないが、ハエがいるのは「私のせいじゃない」という考えが大黒柱となっているフィリピン人丸出し感に一瞬閉口してしまった。
自分がやる事やれば結果はどうでもいいというのがフィリピンを代表する考え方なのだ。
ティムだけではなく、サリサリストアから5つ星ホテルのスタッフまで同じ理念を持って生活しているのだ。
私は言いたいことを99個位飲み込みながら続けた。
というわけで、先日わりと密閉性の高いゴミ箱を買ってきてキッチンへ設置した。
その後、綺麗サッパリ小さいハエは我が家から姿を消したのだった。
フィリピン人あるある
私のせいじゃないという逃げ方を子供の頃からベースに育ってきているので、公共の福祉的なマインドはない。
日本とフィリピンの国民性の違いとしてよく登場する「Collectivism 集団主義」と「Individualism 個人主義」の違いが正にこの問題の本質にあたる。
如何に自分がやっているかのパフォーマンスを披露するのが第一優先なのだ。
自分が人生の主人公な人たちにとって環境改善的に結果が伴っているかどうかは二の次。
しかし、そんなフィリピン人共存するには、彼らの習性の裏を突くしかない。
フィリピン人は自己主張の塊なので、自分の意見を披露するのが大好き。
知らないのに知っているフリをするという特性の裏を突くのだ。
セミナーや会議で「質問有りますか?」と聞けば日本人だと誰も手を挙げないケースが多いが、フィリピンでは10名位が一斉に手を挙げる。
自分で質問しておいて自分で解答してしまう自己完結型が多いのは見ていて興味深い。
ゴミ箱問題でモトボサツ氏が「ハエを家の中から消す方法」について質問しているが、ティムはアイデアを語り始めている。
「私のせいじゃない」と言ったところで「言い訳すな」と一般的に日本人はキレてしまうが、ここでキレずに解決策を出させるような流れを作ると良いだろう。
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