望郷ソング
フィリピンでテレビを見ていると突如として懐かしいCMソングが流れてくる。
現地のTVコマーシャル
タガログ語でペラペラ話しているCMなので日本人の耳にはパピった雑音なのだが、「サロンパス」と「ひさみつ」だけは単語として耳にズバッと入ってくる。
テレビで盛んに流れている久光製薬のサロンパスのCMだが、やっぱり最後は「ひさみつ♪」で締めくくられる。
久光製薬のサロンパスは長年フィリピンでも庶民層にとっての生活必需用品として使われているアイテムなのだ。
正確にいえば「鎮痛消炎貼付薬」と呼ばれる湿布薬だが、類似商品も全部ふくめてサロンパスと呼ばれている程の代名詞となった。
しかし、フィリピンでは意外すぎてサロンパスが日本製だということがあまり知られていない。
フィリピンで韓国人がサロンパスは韓国製だと吹聴しているという噂もあるくらいだ。
創業者の久光仁平が1847年(弘化4年]に同社の前身となる「小松屋」を田代売薬の一業者として創業。久光兄弟合名会社時代の1934年(昭和9年)に今日まで同社の主力製品となる「サロンパス」を発売。 これがロングセラーとなったことで同社の基礎を固めると共に、1965年(昭和40年)に現社名に改称する。その後も「エアーサロンパス」、「サロンシップ」 、「サロンパス-ハイ」などの製品を次々と送り出す一方で、「モーラス」 / 「モーラステープ」ほか、医療機関用(処方箋医薬品)消炎剤にも進出しており、2005年(平成17年)にはエスエス製薬の医療用医薬品事業を譲受する。エスエス製薬の医療用医薬品は湿布薬などの外用消炎鎮痛薬が主流で、当社の得意分野を譲受したともいえる。
社長が久光じゃない理由
私の生まれ故郷長崎はその昔医学の最先端の場所として知られ、佐賀を通って長崎を目指す人が多かった。
久光製薬の発祥の地佐賀県鳥栖市は長崎街道の宿場町田代宿として栄え多くの旅籠が立ち並んでいたという。
久光家はその田代宿で「小松屋」と号した問屋を営んでおり宿場で委託された物を販売したり仕入れた商品を販売する卸売商人だった。
1847年、久光仁平は遠縁にあたる医師に漢方薬の製法を習い問屋の傍ら売薬を始めそれが久光製薬はこの年を創業年とされている
1903年久光兄弟合名会社を設立するが、その代表者には高等小学校を飛び級で卒業した能力を買われた三男の三郎が27歳で就任。
明治2年発売の「奇神丹」を日清戦争に出兵した軍人に販売し、これをきっかけに軍用薬として採用され販路を一気に拡大した。
1905年、三郎は旧久留米藩士の中冨家の長女と結婚してマスオさんとなり、名前が中冨三郎となった。
ビジネスで成功しているとはいえ、旧幕時代の身分的には問屋の三男坊。
江戸時代に21万石を誇った久留米藩の中冨家との婚姻で三郎が婿養子となって中冨家を継ぐという決断。
まとめ
フィリピンで聞く久光製薬サロンパスのCMソングも一興。
この以外なミスマッチが現地ボケした頭に一瞬の刺激を与えてくれる。
サロンパスをしらないフィリピン人はいないので、この記事をネタにぜひフィリピン人相手にウンチクとして使って頂けたら幸いだ。
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トヨタを知らないフィリピン人は居ても味の素を知らないフィリピン人は居ないのではないだろうか?
それ位フィリピン人の生活にとって密着した存在となっている。
昔カナダ人J君が酔った勢いで言ってたのが印象的だった。
コリアン女のアソコはキムチ味で日本人は味の素。