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劣等感つながり
ユーチューブやニコニコ動画で超有名なメンタリストDaiGo氏。
今をときめくオンラインビジネス時代の覇者の一人。
1日で15万回以上再生されるという人気ぶり。
動画のトピックは人間の持つ劣等感への訴えかけ。
劣等感のない人間などいない。
しかし、スターダムに乗った神のような存在となった彼だが、本人自身のベースが劣等感の塊だと私は感じる。
後ろにズラっと並ぶおびただしい書籍。
うがった見方かもしれないが、本という言い訳を用意しないと意見を述べることが出来ないのかもしれない。
私が彼の動画を観る理由はそこに見え隠れする製作者側の劣等感を発見すること。
膨大な本から得た知識というプロテクターは弱さの裏返しであり常に本という言い訳を用意しながら生きている証拠だ。
しかし、劣等感は辛い過去の象徴であるが、神が人間に与えた最大の能力。
人類の進歩は劣等感抜きではありえない。
かつてよく言われたのが、大学院にすすむ人の過半数以上は背が低いとか貧乳とか子供の頃にイジメられていたとか根深い劣等感を持った人が多いと言われるが、その事実も正に具現化の一つと言えよう。
ところで、メンタリストDaiGo氏について、彼と私は幼少期に作られた劣等感が似ている気がする。
長男として生まれ、出来の良い弟と比較され負け続ける。
DaiGo氏は自らが語るように小学校の頃に深刻なイジメにあっていたと言っているが、それだけでなくきっと父親からも優秀な弟と常に比べられ強制的に劣等感を感じたはずだ。
私の場合、子供の頃から両親からの評価が低く、特に父親からは事あるごとに「おい、弟を見習え。アイツは要領のヨカけんね」と4つ下の弟との比較対象として存在し、結局大人になってからも弟を自身の会社の跡継ぎにした。
確かに弟は小学生の頃にはクラスで最優秀生徒で人望もあったので同じ親から生まれたとは思えない存在だった。
父親は女癖が悪く頻繁に浮気を繰り返していた。
母親はそんな父親と結婚したことを常に後悔しており、その矛先が私に向けられた。
「アンタさえ生まれてこなければ、私は今頃あの人と別れて自由な生活が送れたのに」と究極の精神的虐待をほぼ毎日のように受けていた。
そんな父親を選んだのは自己責任だろうと言おうものなら物差しで顔が腫れるまでシバかれる。
当時はそれが虐待ではなく躾けという耳ざわりの良い言葉で片付けられていたし自分でもそう思い込んでいた。
大人になり、客観的に事物を判断できるようになり、まあよく耐えながら生きて来たと自分の心とそれを支えた体を褒めてあげたい。
幸い空手修行のお陰で喧嘩だけは無敗だったのでDaiGo氏のようにイジメられることは無かったが、愛の無い家庭と他人と牢屋のような窮屈な小学校。
友達も少なく生活全般が四面楚歌過ぎて泣きながら裏山に逃げ隠れたりしていた。
セブでのジャングル生活も今思えば子供の頃から山と縁があったような気がする。
動画の内容
上に埋め込んだDaiGo氏の動画では子供時代の特徴が大人になって影響するということについて触れている。
幼稚園時代のパーソナリティが40年後にどう影響しているのかという調査。
- 子供の頃にお喋りだった子は大人になって知性が高い可能性が高い。
- 謙虚だった子 大人になっても謙虚で自己評価も低く常に不安になる。
- 衝動的だった子 大人になっても衝動的。
- 我慢できる子 自分を抑えることが出来る。
- 適応力のある子 明るく知的好奇心の強い大人になる。
自分は子供時代のスペックや存在意義に全く自信がないので、こういうトピックの動画を観て真実を知るのがとても怖いのだが、悲惨な体験をカワイイちゃんの子育ての反面教師として使おうと思っている。
確かに、幼稚園から小学校までは生まれ持った素質勝負の世界だった。
私は完全に地アタマ勝負の世界では敗者だった。
中学からいきなり成績がトップクラスになったのは事前の戦略と空手で鍛えた根性によるものだったと思っている。
軽自動車でF1と勝負してテクニカルに勝つような感覚といえば分かりやすいだろうか?
カルマ
親から精神的虐待を受けた子が大人になると自分の子供にも同じことをしてしまい、負の連鎖は続くと言われる。
だから私は自分が怖い。
自分の親が加害者のように見えるが、彼等自身が世間で言う毒親になってしまった理由を考えると一種の被害者でもある。
つまり幸福度の極度に薄い人生を送ってきたはずだ。
30代で悲壮な離婚を経験し、愛と無縁のDNAを痛感。
強烈な輪廻。
カルマを発見したら自分の代で断ち切るしかない。
この15年間毎朝4時半に起きて早朝ジョギングと筋トレを続け、夜は座禅会に参加した。
呪われたDNAによる負の連鎖を自分の代で止めるよう強度に修行を続けて来た。
子育てポリシー
フィリピンと日本の最大の違いは自己愛。
土着文化とカトリックの融合によってうまれた奇跡だ。
自己肯定感という逆立ちしても到達できない境地に強いジェラシーさえ感じる日々。
苦労や不便の多い不条理大国フィリピンに13年間も住み続けて来た理由。
日本に戻る場所がないからという環境条件的な理由と同時にフィリピンの現地民たちが生まれながらにして普通に持っている自己愛への強烈な羨望があったのかもしれない。
どんなに仕事スペックが低くとも自分の事を天才だと思い、またどんなに体脂肪率が高くとも魅惑の豊満ダイナマイトバディーであると思える最強の厚かましさメンタル。
貧乏でも幸福度が高い国の謎は自己愛によって生み出されているのだと確信する。
究極的には人生の勝者とは自分を愛せる者のことなのだ。
カワイイちゃんには日本人の勤勉さとフィリピンの自己愛という最高のブレンドで幸せになって欲しいと願っている。
そして存在を丸ごと否定され続けた幼少期の自分へのレクイエムとなる。
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