フィリピン生活でイライラ
フィリピンで生活する日本人の多くはフィリピンに来ても日本人のまま。
特に仕事をしている人は任務をその日のうちに何とか片付けようとする。
日本と同じ要領でやろうとしてもさまざまな障害が立ちはだかる。
時間に追われ急いでいる時に横並びでゆっくり歩くフィリピン人達。
前をふさがれ、イライラ感はレッドゾーン。
いっそ後ろから蹴り倒したい衝動に駆られる人も多いはず。
何を隠そう私もその一人だ(笑)
日本では悟れなかった
昔名古屋に住んでいた頃、自転車で10分程度の距離に曹洞宗の寺があった。
僧侶は二人。
尼寺だった。
年のころはそうさのぉ、70歳くらいか。
住職の足の親指には外反母趾があった。
元々は一般生活をしており、ある日思い立って出家した。
出家とはそんなもののようだ。
当時の我が家から自転車で10分程度。
お寺で行われる週二回の座禅会に参加するようになった。
参加者はシニアばかり。
当時30代前半の私はかなり浮いた感じだった。
初心者には座禅のイロハが教えられる。
足の組み方。
姿勢。
呼吸方法。
お辞儀の仕方等。
座禅は何のためにやるのか?
大事なことは何なのか?
中身の説明は一切なかった。
線香一本が燃え尽きるまで50分。
それを2本やる。
1本目と2本目の間に経行(きんひん)という作業があった。
立ち上がってカメのようなスピードで部屋の中を時計回りに歩くだけ。
同じ姿勢で50分も座ると立ち上がった時に膝や足首が相当痛い。
経行は足をほぐすためのアクティビティーだと思っていた。
結局そのお寺には5年通ったが心が無になったり何かを悟ることはなかった。
当時私は仕事に謀殺されながらも中途半端に順風満帆で座禅もこなす青年実業家ごっこ。
そして週末はサーキットでレーサーごっこ。
そんな世俗まみれの自己満足度の高い人生で何が悟れるというか?
日曜日はゆっくり歩こう
速く歩いてナンボという価値観にまみれた忙しい現代生活。
経行という修行の意味に気付くはずもなし。
スピードが上がるほど効率は上がるが細かいことは見えなくなる。
薄味の人生だ。
食べるスピード。
急げば同じ時間でたくさん食べれる。
満腹になれど美味かったという有難味は味わえない。
ゆっくり歩くと足元付近がはっきり見える。
一歩の重みが増す。
フィリピンという変な国で変な苦労を重ねて偶発的に何かに気が付く。
それこそ本当にパタイ(人間の最後に訪れる儀式)にそうになりながら。
あと2年で50歳。
源氏物語の木曽義仲は31歳でこの世を去った。
されど私の何倍も壮絶な人生を経験し悟ったことだろう。
そろそろ自分の歩んで来たイビツな人生を振り返りながらパタイ(人間の最後に訪れる儀式)への旅路の道中大事なことに気付けたら幸いだ。
せめて日曜日だけでもゆっくり歩き、今まで見過ごしていたことを一つ一つ拾ってゆこう。
ゆっくり歩くと幸福度が増すとならフィリピン人は日本人より幸福感が高いのか?
貧しくもハッピーフェイス。
その理由が見えた気がした。
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