人間は限定品に弱い性質を持つ。
だからわざわざタイムセールとかご当地限定等というセールストークで購買意欲をそそる。
今までわざわざセブからマニラへ行くとLAカフェを冷やかして、MOAで吉牛食って108で身も心も軽くしてセブへテイクオフするのが旅のテンプレートだった。
勝手にマニラ名物みたいな自己満足感に浸っていたのだが、遂に吉野家がセブへ上陸しオープンしてしまった・・・
セブが便利になる一方、そういったわざわざ出かけるご当地限定の楽しみが無くなってしまう。
日本時代、離婚とかして突然独りになった私は吉野家へ行く回数が劇的に増えた。
カウンター席メインの店内は独者の男を受け入れてくれる包容力に満ちていた。
聖域。
私にとって牛丼はただの牛丼でなく修行僧が頂く精進料理。
グループでわいわい食卓を囲む習性のあるフィリピン人からすると、お一人様仕様の日本の吉野家は不気味だろう・・・
吉野家は10年程前にフィリピン進出し、全然売れなくて、一度撤退した経緯がある。
そして、ローカル対応メニューを考案し、出戻って来た。
フィリピン吉野家は黙って牛丼だけキッパリと食べる筋の通った店ではない・・・
先日セブSMシーサイドに行った際、吉野家がオープンしていたのでついつい入ってみた。
客層はパッと見中間層なフィリピン人か?
メニューを見てみると、まるでホカ弁だ・・・
どうせここまでやるんだったらノリ弁置いてくれ~
私はそんな誘惑に一切惑わされず、牛丼の並で勝負に出た。
ティムは弁当へ走った・・・ やっぱりね(汗
フィリピンの生卵はサルモネラ菌がウジャウジャいるらしいので、生卵乗せができない・・・
自動的にスプーンとフォークがセットで運ばれ箸は言わないと出てこない。
まあそれは良しとして、七味と醤油が 無い!
ところで、セブ吉野家でフィリピン人は何を食べるのか?
牛丼だけポンとテーブルに乗せて渋く食べているフィリピン人は殆ど居ない・・・
弁当に甘いジュース! 名付けてデブセット?
一方聖なる牛丼はラーメンのあて扱いされている。
店内に和風の写真が飾ってある。
なんか変・・・
よく見るとまるで幼稚園生が書いたように塗り絵されている。
傘だけ不自然なベタ塗り・・・
ひょっとして日傘をさす日本人の習性を説明したかったのだろうか?
これも白鳥だけ無理やり描かれている。
城もベタ塗り・・・
きっと風情という概念がフィリピンには無いのだ。
レシートを見ると、全く印字されておらず、ただの白い紙きれだった。
私はダメ元でレジに持って行き、再印刷をお願いしてみた。
スタッフは憮然とした態度であからさまに嫌悪感を示した・・・
あー制服だけは吉野家でもやっぱフィリピン人やな・・・
超メンドクサそうにマネージャーを呼びに行き、やってきたメガネのチノイ風マネージャーも一言も謝らない。
なぜなら悪いのはインク・・・
このマインドがフィリピンをアジアの病人たらしめている所以だとキャツ等は気が付かない。
フランチャイズの盲点はサービス精神。
ぜひ日本的サービスもも含めて輸出してほしい・・・
昔キン肉マンが歌っていた牛丼一筋300年とは別次元の店になっている。
っていうか300年前っていうと徳川吉宗が八代将軍になった頃だ。
牛丼がその時代にあったとは思えん・・・
気になったので検索してみると違った(汗
1899年 - 東京都中央区日本橋にあった魚市場に個人商店「吉野家」が誕生(創業)。
1926年 - 魚市場の築地市場移転に伴い、築地へ移転。
1952年 - 24時間営業を開始
1958年12月27日 - 牛丼屋の企業化をめざし「株式会社吉野家」を設立。
1973年 - フランチャイズ事業を開始(1号店・小田原店)
1975年 - アメリカ1号店(デンバー)オープン。
1980年 - 会社更生法の適用を申請し事実上の倒産。
1983年 - 更生計画が認可され、セゾングループ傘下で再建に乗り出す。この件はギャグ漫画
がきデカでも話のネタになっている。 またこの時期、ゆでたまご原作のアニメ「キン肉マン」で頻繁
にギャグのネタにされ、低年齢層には牛丼というとほぼイコールで吉野家というイメージが定着する
。これも経営再建の一助になったという評価は多い。
1987年 - 更生計画終結。倒産の元になった債務(更生債務100億円)を完済。
2000年11月 - 東京証券取引所第一部に上場。
牛丼が誕生して80年だった。
アメリカに海外進出果たした5年後に倒産・・・
日本をそのまま海外へ押し付けるとロクな事にならないのかもしれない。
フィリピン人の為のフィリピン人による吉野家。
サービスが悪いのもひっくるめてフィリピン。
それで客が納得すれば全て丸く収まるのだ。
私のような日本人が中途半端にフィリピンで不満を抱いても余計なお世話だったりする。
サービスも、あの風情の無い絵も全てフィリピン人の為のフィリピン人による演出なのだ。
まだまだ修行が足りないモトボサツでした・・・
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