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老人施設の事件や事故は無くならない

投稿日:2016年2月17日 更新日:

ヤフーのニュースで日本の老人施設の事件ニュースを見てしまった。

それらは刑法上も道徳上もあってはならない事だが、私は必然性を感じて止まない。

一度は介護事業に身を置いた身として確信する事はただひとつ。

虐待は絶対無くならない。

他人の不幸は蜜の味という言葉がある通り人間はある一面残酷な生き物だ。

性善説性悪説という観点より生き残る本能がそこへ結びつけると言うと分かり易いかもしれない。

通常の心理状態で基本的に他人の痛みや立場に立つことは無理。

思いやっているつもりでも所詮他人事だ。

自分自身の事ですら、喉元過ぎれば熱さ忘れるという言葉通り、時が経てば過去の痛みを具体的に思い出す事すらできない。

子供や老人など弱い人間あるところに必ず虐待は起きる。

しかし、そうは言っても背に腹は代えられない状況下で仕事を辞めてまで家族の介護に専念する事は出来ない。

施設選びのコツはあるのか?

私の経験だと目安は備品や施設の損傷具合。

80歳を超えた老人の多くは車椅子で移動する。

特に介護度4レベルになると自力移動できないので、介護士が押して移動する。

介護現場は今人手不足で超忙しい。

だから車椅子の乗り心地など構ってられない。

居室入口のドアの淵などガンガン当てまくる。

車いすとドアが損傷する。

あとは部屋の壁。

ボード側の壁はベッドの角が勢い良くぶち当たると簡単に穴が開く。

こういった施設の損傷具合でその施設が入所者を大切に扱っているかどうかを図ることが出来るだろう。

私の居た介護施設は特別養護老人ホームとデイサービスを兼ねた100床位の中規模施設だった。

55名全員女性の介護士。

女性介護士だから丁寧とは限らない。

居室のドアの傷を見つけるたびに毎回嫌な気持ちになった。

老人の乗った車いすを傷が付くほどの勢いでぶつけているという証拠だろう。

そして私は確信した。

見ず知らずの老人の世話など本当は誰もしたくない。

家族同士ですら最後は老老介護の末殺してしまう事件もある。

私は人生の中全てを失った最も特殊なタイミングで老人施設運営というお鉢が回って来た。

だから入所者の肩を毎日揉んだり、一緒に寝たりできた。

それが1年早かったら絶対無理だった。

だからあれは誰でも出来る仕事ではないと思った。

今自分があの頃へ戻ったら同じことが出来るかどうかわからない。

なぜなら愛を子供にリザーブしたいから手を抜くだろう。。。

老人施設あるところに虐待はある。

人間が人間である限り虐待は無くならない。

これから本格的な高齢社会。

これからは虐待というより放置の時代となるだろう。

人生50年という時代はある意味ナチュラルだったはず。

このまま早めにフィリピンでパタイ(人間の最後に訪れる儀式)ぬのも悪くないと最近思っているモトボサツ。

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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