今朝フィリピンで50歳の誕生日を迎えた。
38歳でなんとなく流れ着いた場所フィリピン。
自分の意思や選択というよりもそれが運命だったのだろう。
フィリピンでの40代前半はいままでの型に嵌った人生を完全崩壊させるような冒険的生活が毎日続き、自分のもっていたアイデンティティは更地になった。
そのころマニラで出くわした日本人から言われた言葉が今でも鮮明に記憶に残っている。
「40代って脂が乗りきった社会の中心になって最も働ける年齢ですよね。。。」
悪気はないのかもしれないが、「こんなことしてていいんですか?」と言いたいのだろう。
私はすでにそれを聞いて憤りを感じたりするような世界にはもういなかった。
日本の生活を抜け出しフィリピンで生活すると決めたときの根拠があった。
時間をとるかオカニをとるか。
つまり60歳まで日本で一生懸命働いて蓄財して余裕をもったフィリピンライフを無難に送るか、40代にフィリピンへ行き今すぐ始められるちょっと無茶な冒険するか。
私はズバリ時間を選んだわけだ。
もし普通に家族が居たら確実に前者を選んでいたはずだ。
だから選んだのではなく「選べた」という言い方のほうが正しい。
フィリピンに10年以上住んでいると言った瞬間に「フィリピンが好きなんですね♡」と言われるが、「はい♡」と笑顔で即答できない自分がいるのは確かだ。
住んでみて嫌になったら日本へ戻ったらいいという逃げ道を自分に与えたつもりだった。
しかし、日本なら最も日本男児として稼ぎ社会貢献もできる40代を全てフィリピンで過ごし、いつのまにか家族が出来て子供を含めた生活の基盤がフィリピンに出来ていた。
フィリピンという全く興味も魅力もわかない怪しい国へ流れていく発端は明らかに30代半ばに起きた悲劇だった。
自分の意思とは全く関係なくドラスティックに突然独り身になってしまった。
精神的に打たれ強くはなかった。
身よりもなく、方言のよくわからない街を心細くうろついた。
自由と孤独という単語は同じ意味だと知った。
一旦家庭という拠り所がなくなると地球上全てが自分の家に思える不思議な感覚を初めて覚えた。
自分はちょっとだけオカニのある浮浪者だという意識が芽生えた。
傍から見ると自由気ままな独身貴族であったが、いつも何かを探していた。
フィリピンというボトムな国で10年過ごして失ったものはたくさんあるが、日本で無くした一番大きなものを手にいれていた。
つまりそれは自分の居場所だ。
お帰り~と言ってくれる人がいる。
ホームレスとは単に住む家がない人の事を指すのではなく、お帰りを言ってくれる人を失う事なのだ。
40代をすべてフィリピンにささげた男のつぶやきでした。
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