8年前、私はティムとスービックで出会った。
マニラに住んでいた頃は週末毎に会っていたのだが、私がセブへ戻ったらおしかけ女房のように仕事を辞めて私のところへ転がりこんできた。
最初は私がこれまでに培った都合の良い人間関係をことごとく破壊しまくられて大変困っていたのだが、今考えるともし彼女が居なかったら私は今頃フィリピンの濃いダークサイドへ落ちているような気がする。
初めてスービックに行ったときはマニラから日帰り弾丸だったので、どんなところかよくわからなかったのだが、その後ティムに案内されて数日間滞在したことがある。
隣の芝は青いというか、何もかもブより輝いて見えたのはホントだ。
特にレミフィールドという競技場でジョギングをし汗を流した思い出はいまだに色あせていない。
いつか住みたい街だ。
ティムがスービック時代に家族のように仲良くしていたアテが娘を伴ってセブへやってくることになり、私は案の定ドライバー兼カメラマンとして同行することになった。
アテの娘は現在21歳だが混み入った事情で13年前にアメリカに移住し、ワシントンに10年以上住んでいる。
今回はフィリピンへの帰省も兼ねて母親であるアテをセブ旅行へ招待した形だ。
娘は向こうでは一般人だが、フィリピンに来たらやはりオカニモチ扱いとなるので旅費を含めた諸費用はすべて娘が出している。
セブの観光といえば言わずと知ればアイランドホッピング。
案の定私もアイランドホッピングに同行することになったのだが、早朝合流して出港場所であるコルドバ港へ向かった。
東京に住んでいる人が普段わざわざ東京タワーや東京スカイツリーに行かないように、セブに住んでいるとアイランドホッピングに行く機会はほとんどない。
私にとって2年ぶりのアイランドホッピングだ。
初めてあった母娘は親子とは思えないほど見た目も性格も違う。
アテは43歳で線の細い草食系スパニッシュだが、娘は褐色の肉食インド顔をしており性格はハンターで背の高さも165センチを超えていそうだ。
飽食の国アメリカに10年以上住むとこうなるのか?
アテ、ハンター系の娘、ティム、カワイイちゃん、私と5名でバンカボートへ乗り込んだ。
まさに女だらけのアイランドホッピング。
日本時代を含めて自分だけ男という構図は意外と多い気がする。
せっかくの海なのに向かっている先に黒い雨雲が集まっている。
今日は生憎の雨だな。。。
雨の海ほどつらいものはないのだが、選んでいるほど日程に余裕がない。
まずは定番のヒルトガン島の前にあるマリンサンクチュアリ付近でシュノーケリングをすることになった。
いきなりだが、ここがアイランドホッピングのメイン会場だ。
朝9時前。
他に船はいない。
二人乗りの小さいボートが5隻ほどこちらを一斉に見ている。
その海域に入ったというだけで寺銭のような形でお一人様100ペソ徴収されるのだ。
ハイエナのようにボートに乗った黄色い服のオッサンが小舟でやってきて船内まで上がってくるのだ。
30分程シュノーケリングをしながら海の中を眺めながら泳いだが、魚が食べ物に見えてしかたがない。
やはり身も心もすっかりフィリピン化しているのだろうか?
それからカオハガン島へと移動した。
ここでは船を降りて上陸する。入島料は一人200ペソ。
つまり私はナルシスト系フィリピーナのカメラマンとして一生懸命仕事をしなければならないのだ。
アテの娘がついにベールを脱いだ。
真っ赤なハイレグティーバック。
勝負水着だ。
トトイは小さめだが、キュッと上がったプリ尻にフリピン人ばなれしたダイナマイトバディーに付近の男どもはいとも簡単に釘付けだ。
私も皆さんと一緒に鑑賞したかったが、ティムに悟られ、5年ほど言われ続けるのがわかっているので冷徹な目をしたカメラマンに徹した。
1時間ほどカオハガン島でナルシスト系フィリピーナのための撮影会が行われた。
それからまたボートに戻り次はナルスワン島だ。
全部行かなくてもよいのだが、ゲストにとって初めてのセブなので、とりあえず全部見せるのがよいだろう。
ナルスワン島は最も観光客を意識した設備となっており、韓国人でひしめき合っているイメージだ。
まるでガンジス川の沐浴のように人だらけ。
韓国人と中国人だらけだ。
怖すぎだろう。
もはや海へ入る気がしない。。。
道中に買ったジョリビーチキンをボートの上で食べながらコルドバ港へ向かった。
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