カワイイちゃんの成長とブログの歴史
うちのカワイイちゃんは現在5歳。
モトボサツブログが始まったのが6年前なのでカワイイちゃんの成長はブログの歴史と言っても過言ではない。
ちなみに、強制的な立ち合い出産だったので私はカワイイちゃんがティムの産道から出てくる瞬間から見ている。
まるでホラー映画でも見ているような衝撃的なシーンだった。
当初はドロドロの出産シーンを間近で見てしまった事を後悔していたのだが、そのうち生んだティムよりも私の方がカワイイちゃんを長く知っているという妙な嬉しさの方が増してきた。
子供の成長は驚くほど速く、全然成長しないどころか衰えて行く自分が何だか置いて行かれているようで切なくもある。
とくに5歳後半の成長はすさまじい。
一緒に住んでいながらたった1週間ごとに大人に近づく我が子に圧倒されるのだ。
子供の成長で脅威的なのが5歳の伸び。階段で言えば3段飛ばしで駆け上がる感じとです😲 pic.twitter.com/vSEN4PijT5
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) January 6, 2020
日本人父としての苦悩
フィリピンハーフの基本は日本人の父親とフィリピン人の母親という組み合わせが圧倒的に多く、いつか日本へ移住し、日本の教育を受けさせようと思っているパターンが多く、幼児期から日本語を少しでも話せるようにしておきたいと思う人も多い。
私もその一人である。
カワイイちゃんが生まれた当時はセブノーマル大学で日本語を教え、正にストリート系日本語教師としての我が道を突き進んでいた。
日本語を外国人に教えるためのセミナーへも積極的に参加し、独自の日本語教育理論を熱心に研究していた時期でもある。
大学でベストティーチャー賞3年連続獲得し、日本語教師としてのプライドもあった。
しかし、いろいろと子供の日本語教育を試行錯誤行ってみたが、結論的に子供の言語は母親に依存する部分が大きく、外付けの語学教育で日常日本語会話が話せるようになるのはほぼ不可能だと悟ったのだ。
思えば自分がタガログ語、ビサヤ語、英語と実践的に使えるレベルになったのは、すべて遊びを含む生活を通じて得たものだった。
子供の場合、子供同士の遊びや学びの中から言葉と思考力を獲得して行く。
親子移住でよくあるケースだが、子供を語学学校で勉強させてもあまり伸びず、地元の小学校へ入れたとたんペラペラになるというケースが殆どだ。
【セブ島日本人あるある】
親子移住の準備としての語学学校。
現地小学校入学試験で英語力が必要なのでセブにある語学学校に通わせるが成果が出ないらしい。
しかし小学校へ入学した後の英語力の伸びが凄まじい。
習うより慣れろの実証。
子供の英語は英語の上手な子と遊ばせるという作戦が理想🤘
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) January 2, 2020
周りに日本語が話せる子供が沢山いてその中に入って一緒に遊ぶと随分状況は変わってくるのだろうが、あいにく日本語を話す子供との関係が全くないのでそれも不可能だった。
カワイイちゃんの母語の選択肢は二つ。
ビサヤ語か英語。
もちろんビサヤ語と英語なら当然ながら思考力の構築の面で比べものにならないほど英語に軍配が上がる。
乗り物で言えばスペースシャトルと三輪車位の差がある。
これは私が普段の生活で両方使っていて確信している。
父と娘の公用語は英語
【複雑な家庭】うちのフィリピン嫁は私がマニラに住んでた頃に出会った人なのでお互いタガログ語で話していた。しかし今はセブ在住なのでビサヤ語がお互いの公用語となっている。しかし娘には思考能力を懸念し、英語での会話を徹底している。#海外子育て#フィリピン移住#親子留学
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) January 2, 2020
セブでも私立のある程度の層が行く学校であれば英語で統一されるため、子供通し英語を使ったコミュニケーションが身につく。
私はカワイイちゃんとは一切ビサヤ語で話さない。
子供の頃にバイリンガル不要説
私の場合、40歳からロービギナーとしてスタートした英語も2年後には割とネイティブから褒められる程度にペラペラになり、フィリピン語のタガログ語、ビサヤ語も日常会話では普通に話している。
日本語、タガログ語、ビサヤ語、英語。
空手、水泳、キックボクシング等、昔から自分を自分でトレーニングするのが大好きで大得意だった。
ただし他人から強いられるのは大嫌いなので学校教育に向いていない体質をしている。
現在にわかトライリンガルとして4つの言葉を使い分けているのだが、その上で確信をもって言えることは「幼少期にバイリンガルになるリスク」を感じている。
以前アメリカで小学生時代を過ごした日本人が言っていたのが、日本語と英語を中途半端にやったせいで言語的成長が中途半端になってしまったということだった。
つまりどちらかに統一している学友に語彙及び思考面で後れをとるということだ。
別にフィリピンの事を名指しで言っているつもりはないが、英語がどんなに達者に話せても、思考能力が低ければ社会に貢献できる部分は少なく、英語がペラペラな人という自己満足で終わってしまう。
高度なビジネス通訳のシーンでは状況判断やクライアントが求める利益が想定できなければ二度とオファーは来ないだろう。
私は自分が複数の言語を話せるようになった上で分かったのだが、言語の質がその国の質になるのだと考える。
日本語が作る日本人の思考が日本人の特徴となり日本という国の基礎になっているのは確かであり、フィリピン語が作るフィリピン人の思考や気質が確かに存在する。
子供の国際力を育てる際にどのタイミングで英語教育を入れるべきなのか小学生への英語教育の真偽が問われる場面だ。
英語一択
日本語と英語を比べると圧倒的に日本語の方が複雑で習得に時間がかかる。
1日24時間という時間の中、8時間寝るとして、6時間を日本語で話し、10時間を英語を話す子供はどちらかだけを話す子供に比べ語彙の発達が遅れると思っている。
言葉とはまさに思考のフォーミュラであるので、幼少期における言語的混乱は思考力の低下につながるのだ。
残念ながらフィリピンが世界で最も読解力が低い国という結果が出てしまったのも、正に中途半端な英語教育のせいだと私は考える。
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だからうちでは英語で統一することにした次第だ。
ただ、私が普段日本語で独り言をつぶやくのを真似してカワイイちゃんも日本語の表現をいくつか覚えている。
ちょっと高いね!
セブ島 Miniso パワーバンク
990 ペソ「ちょっと高いね!」
怒るカワイイちゃん#海外子育て#フィリピン移住#海外生活 pic.twitter.com/FlaBG5CBRc
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) January 4, 2020
まとめ
日本に住む両親とも日本人という普通のパターンの子供の場合、うちでの会話は日本語で、友人との会話も日本語となる。
フィリピンのように小学生から英語が入り込んだ場合の思考力養成への弊害がどの程度あるのかは分からないが、日本語という優れた言語が母語である限り読解力世界最低という結果にはならない気がする。
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