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その後のジェニー
先日の記事ではこれぞ“典型的なフィリピーナ”と私が思う「凄技ジェニー」の話を書いたが、その後の展開がとても気になるという声が聞こえてきた。
まるでホラー映画みたいな気になる終わり方もいいと思ったのだが、やはりここは私の想い出の整理も兼ねて最後まで書いておこう。
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ジェニーの家を訪れて一晩明かしたその後もM氏とは「ケレイ」へ定期的に通っており、M氏にはデスリー、ボサツ氏にはジェニーという公認カップルのような位置関係が生まれていた。
何でもそうだが、フィリピンはとにかくオカニ(お金)。
フィリピン人と少しでも関わり行動するとチップを払うのがフィリピンでの正しいマナー。
ジェニーとの熱い夜の後、実はオカニ(お金)を渡していなかったのだが、どうにもそれが心に引っかかっていた。
フィリピンで出会う日本人の中にはやたらと「ダタマンしたぜ」ということを自慢っぽく吹聴する人が多いのだが、私にとってそれは非常に気持ち悪い。
そしてM氏と「ケレイ」へしけこんだ際にジェニーが私の隣に座って来たタイミングで誰にも見られないよう2000ペソを渡そうとした。
すると彼女はこう言った。
もちろんあの夜の売春代なのだが、それがストレートに口に出せない雰囲気があった。
受け取ってもらわないこちらとしては心理的に厄介だ。
すると彼女は何も言わずにそれをロケット型のCカップへと挟み込んだ。
セブでもそうだが、お代を払うとフィリピーナはバッグやポケットに入れず同じことをする傾向にある。
それはプーさんよりジェニーの方がはるかに床上手で、さらに3歳の娘さんの分も入っているのだ。
ところで、ジェニーと関係を持ってから「ケレイ」で彼女以外を選びにくくなった。
指名しないポリシーを持つ自由人「パロパロボサツ」の異名をとる私もそろそろ年貢の納め時か?
その後、何度かジェニーから誘われ、例の高級アパートへとシケこんだのだが、彼女のリクエスト通り近所の人へ紹介されるたびに娘の父親は私だと言わされた。
それで皆がハッピーならいいだろう。
どうやら近所の人にはエッチな「バー」ではなく「ミュージックレストラン」で働いているということのになっているらしい。
フィリピンで希少なA型フィリピーナはこんな具合にやたらと世間への体裁を気にするのだ。
ある時、ジェニーのところへ従妹というのがミンドロ島からやってきていた。
髪を短く切った典型的なトンボイ(レズ)だ。
これも髪を伸ばすと普通の女になるのかと思うと不思議な感じがする。
ひょっとしてジェニーはそっちのケもあるのではないだろうか?
なんとなくだがある種の嗅覚が働いた。
というのもKTVやビキニバー等で働くワーカーには同性愛者が多い。
子供の頃に親戚のオジサンから性的ないたずらを受けトラウマとなり、その後女性しか愛せなくなったとかフィリピンらしい理由があるようだ。
従妹として紹介されたショートカットの女は実はジェニーのベッドメイトの可能性がある。
今夜は3Pとなるのだろうか?
一瞬想像するだけ脳内アドレナリンが吹き出し戦慄が走った。
私はジェニーの体に溺れたわけでなはく、冷静に距離感を保っていたのだが、誘われるままに家を訪れる理由として3歳の娘さんと同じベッドで寝る家族ゴッコに嫌いではなかった。
メスライオン
ジェニーは体を重ねるたびにワイルドになっていった。
馬乗りになる姿を下から客観的に眺めると、男女の役割が完全に逆転している気さえした。
ふとある事が脳裏に浮かぶ。
日本に住んでいた晩年、時々福岡中州で飲み歩いていたのだが、ある時中州4丁目にある人形小路のオカマバーのママからこんな事を言われた。
「あなたは女性に対して保守的だから、ハンターみたいな女が集まるのよ。気を付けなさい」
そういえば大人しい女性より、活発で男勝りな女の方が落ち着くのは確かだった。
これはまだ仮説の段階だが、我が家でティム様がメスラインと呼ばれているように、私のもつ生贄の血が女性のもつワイルドなDNAへと働き掛け猛獣へ変えてしまうのかもしれないと思いながら生活している。
ショートカットのレズ従妹がやってきたその夜もジェニーは少しカサついた肌を寄せてきた。
客人は同じ部屋の床の上にマットを敷いて寝ている。
ジェニーは無言で私を挑発し続けた。
大家族で生活しているフィリピン人にとって同じ部屋に誰かがいる中でやるのがきっと当たり前なのだろう。
そして、いつものようにジェニーは私の繊細なトマホークを自分本位で荒々しく扱い、その後ハバルハバルにでも乗るように馬乗りになってきた。
快感よりもむしろ緊張感の方が多少勝っているのは否めない。
同じベッドで寝ている揺れる哀れな3歳児とベッドの下で寝ているレズ従妹の二方向を同時に監視しながらの難しい作業となった。
しかし、流石のジェニーもいつものような大きな声は出さず、それがかえって秘めたいやらしさを演出する新たな発見へと繋がった。
ドバイへ旅立つ
ジェニーとはそんな感じで会うたびに「プレゼント」という名目で2000ペソを毎回渡していた。
娘さんにはお菓子を別に買い、そしてLXサイズのトマホーク用防護服を持参し訪問していたので、傍から見るとジェニーの希望通り私が父親に見えたことだろう。
ある日、ジェニーからメッセージが来た。
ドバイに働きに行くから「ケレイ」にはもう行かないという。
3歳の娘はミンドロ島から来たあのレズ従妹が面倒をみることになったという。
OFWとして親子別々に暮らすのがフィリピン人の定め。
そしてそれにぶら下るようにして生きるパラサイトな親類たち。
彼女が旅立つ数日前、もう一度最初に食事をしたあの2Fのカフェレストランに行くことになった。
ジェニーはなかなか自分の話をしたがらないタイプだったが、5年前に地元の高校を卒業し友人を頼って初めてマニラへ来たころの話をしてくれた。
ふと気が付くと、彼女はミンドロ島から出て来たばかりの田舎娘の顔になっていた。
時々思い出す俺のマニラ物語。
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