老婆と俺
長い長い長い信号待ち。
いつものストリートな老婆がやってきた。
相変わらず笑っているのか泣いているのか怒っているのか分からない顔をしている。
戦略的に高級車へ手を伸ばすのだが、私のサイクロン号は特別だ。
以前食べかけのパンをバッグから取り出しあげたことがあったのだが、それ以来私の黄色いヘルメットを見ると真っ先にやってくるようになった。
今朝もバッグからパンを取り出し一つあげてみた。
すると老婆は笑っているのか泣いているのか怒っているのか分からない激しい顔になった。
べつに良いことをしている気分には成れないのだが、この瞬間が癖になる。
アミーゴ号を運転していたころはダッシュボードに子供へ配る飴玉を入れていた。
私は人と人のこういう直接的な関係に飢えているのかもしれない。
ぱっとみ100歳位に見えるのだが、実は私と大して変わらない歳だったりする侮れないフィリピン。
ふと思う。
この人って子供の頃どんな顔をしていたのだろうか?
小学校とか行ったのだろうか?
温かい家庭があった経験はあるんだろうか?
子供は何人位いて今どうなっているのだろうか?
親がこの姿見るとどう思うだろうか?
いつからこんな生活をしているのだろうか?
3分間を超える長すぎる信号待ちの間に無関係な老婆の人生に対し万感を想像を働かせてしまう。
あの老婆はきっと自分の鏡なのだ。
私の親はフィリピンへ流れついてしまった長男の事をどう思っているのだろうか?
そういう思いが根底にあるからあの老婆の身を案じるのかもしれない。
老婆に老婆心という奇妙なモトボサツ現象。
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