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(その3)からの続き
『奥さまはフィリピーナ』というフィリピン関連本を読みながらフィリピンに関する万感の思いがあふれ出す。
昨日は(その3)について記事にしたが、気が付くと5000文字を超えてしまっていた。
今回もこの本からインスパイアされるままに我がエピソードと思いを語ったみたい。
前回までの話はこちらからご覧ください
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フィリピン嫁談義|奥様はフィリピーナvsモトボサツ(その1)
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フィリピン嫁談義|奥様はフィリピーナvsモトボサツ(その2)
その1からの続き 前回の記事 『奥さまはフィリピーナ』というフィリピン関連本を借りて読んでいるが書評が楽し ...
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フィリピン嫁談義|奥様はフィリピーナvsモトボサツ(その3)
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>この国にはTシャツと制服しかないのか(126ページ)
私がフィリピン初上陸した2007年当時の記憶を辿ると、フィリピン人女性はまるでタイツでも履いているかのようなピタっとしたスリムジーンズを履いていた。
流行っているというレベルではなく、全員それを義務づけられているかの如く例外はほぼ無かったと思う。
フィリピーナの多くは手脚が長く尻がプリっと上がっている傾向にあるので、ジーンズがとても格好良いのだが、スカートの女性をほぼ見たことが無かった。
その理由をフィリピン通の人に言わせるとジーンズだとレイプされにくいからだと言う。
それが真実かどうか未だに疑問だが、日本人が様々なファッションを楽しんでいるのに比べ、フィリピン人は服装に関しても非常にコンサバな国民であると言える。
2020年現在ではジーンズという縛りは減り、スカートを履いているフィリピーナも普通に見かけるようになった。
>変身願望(126ページ)
本にも書いてあるフィリピーナは日本へ行くと服装が過激になるという件だが、これは私にも経験がある。
元カノTと付き合いながらも他のフィリピン人の事も少し知りたくなり、来日して1カ月目のH子と北九州小倉西区でデートをしたことがある。
歳の頃はそうさのぉ19歳位か。
マニラのケソン市の出身だと言っていた。
ちなみに、当時の私は出身地を告げられても全くピンとこないほどフィリピンの事は無知だった。
待ち合わせ場所はドンキホーテの入口だったと記憶している。
実は私は10分ほど遅刻してしまい、その間彼女からは「アナタドコイル?」と矢のようなメッセージがバンバン入って来た。
フィリピン人は頻繁に遅刻するくせに、自分がたまたま現場に早く到着すると大騒ぎするのだ。
現場へ到着してみると驚いた事にパンツ丸見え仕様のマイクロミニスカを履いて来た。
どう考えても子供用だ。
ひょっとして小柄なフィリピン人から借りたものを無理やり着ているのではないだろうか?
まるで露出狂。。。
道行く人がチラチラ見ている。
まあそれも修行の一環だと思い、服装の事には言及せず彼女のリクエスト通り今は無きスペースワールドへと出かけた。
誰に習ったのか知らないが、「インラブナタ(あなたに恋した)」というのが彼女の口癖だった。
その数年後、私がセブからマニラへ移動した際に突然フェイスブックで彼女から連絡が来て今フィリピンに戻っているという。
彼女の実家の近く(ケソン市のクバオ)で会ったのだがその時は際どいミニスカートではなくジーンズにTシャツという普通のフィリピーナファッションに戻っていた。
やはり彼女も国へ戻るとその辺のフィリピーナなのだ。
しかし、以前と比べげっそり痩せていたのでその理由を聞いてみると、日本で偽装結婚した後にパブを辞めホテルのベッドメイキングの仕事をしたら辛すぎて痩せてしまったらしい。
夜の店で男性と戯れながら酔っぱらうほうが100倍楽だと笑っていた。
H子の名前はティムの母親と同じでティムが母親の話をするたびに彼女の事をチラッと思い出してしまう。
もう一つ、制服の話だが、日本では通勤電車やバスの中で会社の制服を着て乗るのを憚る傾向にあるが、フィリピンでは全くそういう事がない。
むしろ制服のある会社で働いているということを見せたがっているようにさえ感じる。
「フィリピンにはTシャツと制服しかないのか」という感想は正にフィリピンに対して多くの日本人が感じる点であろう。
>フィリピン人ネットワーク(130ページ)
フィリピン人は口が軽い。
これに異論がある人はほぼいないと思うが、とにかく思った事を反射的に口にする傾向にある。
たとえば、私が日本人の知人と食事をした際、彼が付き合っているフィリピーナを同伴して来たことがある。
日本人の知人がトイレに行っている間、私と知人の彼女だけがテーブルに残る形となるのだが、それをたまたま見かけたティムの知人が速攻で通報しているのだ。
丁寧に状況を説明したが疑いが晴れたかどうか未だに謎。
特にセブは狭い世界なので直ぐに情報が広がってしまうのだが、ひとえにフィリピン人の口の軽さによるものだ。
日本人の場合、知人の奥さんの浮気現場を目撃したとしてもそれを通報するかどうか考えるだろう。
黙っておいた方が世の中の為だと判断すれば墓場まで持って行く。
しかし、フィリピン人の口に戸は建てられず、ゲットした情報を直ぐにまき散らすネットワークの構築と伝達スピードが半端ない。
ところで、2020年現在でのフィリピン人のネットワークはフェイスブックと教会。
日本人と結婚して日本へ行ったフィリピーナに事情を聞いてみると、教会でフィリピン人同士知り合いになるケースが多いらしい。
>このカップルは多分上手くいかない(138ページ)
フィリピンに住んでその間に日本人男性とフィリピン人女性のカップルが多く誕生したが、婚姻関連の書類の翻訳を頼まれることが頻繁にあった。
こう言っては何だが、日本に住んでいる日本人男性よりも私の方がそのフィリピーナの素性に詳しい事が多々ある。
余計な事は極力言わないようにしているが、結婚相手のフィリピーナの中にはピノイの彼氏がいたり、韓国人と毎晩遊びに出かけているようなババエもいた。
しかし、こう言った情報をリークさせるとすぐにバイク便がやって来て私はサンタマリアとなってしまうのだ。
いわく付きのフィリピーナと結婚した日本人は短期で離婚している。
著者も書いている通りこのカップルは上手く行くかどうかはファーストインプレッションで大体分かるものなのだ。
>なんとか日本語検定二級はとった(142ページ)
日本語検定二級が取れる元ジャパユキさんは少ないのではないだろうか?
著者の奥さんは大卒で育ちも良くポテンシャルが一般のフィリピーナより高いと思われる。
私の知っている元ジャパユキさん達はみな子供が小学校2年になると学力的に完全にブチ抜かれている。
普通に日本人として育つ子供といつまでたってもフィリピン人丸出しな母親のコントラストが激しい。
これは超個人的な経験であるが、日本語のレベルが高いフィリピン人ほど思考と行動も日本人に近い気がする。
これも言語がマインドを作るという仮説の裏付けかもしれない。
だから著者が本の中で推奨しているように、日本語学校へ行かせる価値を大いに感じる。
ちなみにうちのティムは日本に住みたがってるのだが、一つ条件を出している。
それは日本語検定二級ではなくTOEIC990点を取ることだ。
なぜそうなのかといえば、日本人は未だに「TOEICの点数=英語力」だと思っている。
フィリピン人というだけで見下され病原菌扱いされてしまう日本という島国でTOEIC満点取ったというキーワードは効果絶大。
いきなり英語の先生という呼ばれ方をするシンプルな世界。
もう一つ条件を付けさせてもらえれば、英語の中にビサヤ語やタガログ語を混ぜないで欲しいということだ。
カワイイちゃんの言語成長にも支障をきたすし、私もビサイッシュやタグリッシュに関してはストレスを感じてしまう。
>話し合いたいだけだ(145ページ)
フィリピン人とは意見をぶつけ合うのが難しい。
つまり喧嘩になるのだ。
「感情的なものが全面に出て」
フィリピン人は歌や踊りが上手く、「カワイソー」という言葉が大好きな特質を持っているが、それはひとえに右脳偏重的な思考なのだ。
ちなみに日本人は左脳偏重で理屈っぽいが、水と油の存在である故喧嘩が耐えない。
「阿吽の呼吸でお互いに分かり合う」は似た者同士が長年一緒に連れ添った結果出来るミラクルであり、日本人とフィリピン人に同じ土俵で話をするのはかなり無理がある。
ちなみに、私がティムと会話をする際に最初から70%位諦めている。
英語で例えると「YES」か「NO」で答えるべき質問を「WHY」から始まる疑問文への答えにスイッチしがちなのだ。
説明という名の言い訳大好きなフィリピン人思考の具現化であろう。
>ボヤかしたまま生活する事ができる人(146ページ)
フィリピン人と生活するには、フィリピン人を日本人とは別の生き物として認識する割り切りが肝要である。
私は13年かけて少しだけそれが分かってきた。
完璧ではないので時々摩擦を起こし頂上決戦となるが、一種の諦め感を持ちながら接するようになると熱くならないで済む。
そもそもAB型男とO型女は日本人同士でさえ性質が合わないとされるが、もしティムがB型であれば例えフィリピーナでももっと違った関係性が出来ていたかもしれないと時々思う。
しかし、この生物学的な距離感も悪いものではない。
相手への依存というか甘えが薄くなる。
家族なのに他人のようなドライ感はある意味結婚生活を長続きさせるための要件なのかもしれない。
あくまで結果論だが。。。
>妻が生活者として未熟に見えてしまう(152ページ)
この生活者や生活力の少なさはフィリピーナと同棲したことのあるほぼ100%の日本人男性が口にする項目だが、まるで江戸時代から来た人のように文明化されていない印象がある。
実際、エアコン、ホットシャワー、冷蔵庫、電子レンジのない生活をしていると電子レンジとセーフティーボックスの違いは分からない。
また釜の火で料理をする生活ではガスコンロを2つ同時に使いながらクッキングを行うのは無理だろう。
フィリピン人は時間の流れ自体が違う。
本にも書いてあるが、他人の奥さんと比較して劣っている事を指摘するのは本当にアウトだ。
実は私は小学校6年までボンクラを極めたが、母親から「〇〇君を見てごらんなさい、あの子は素晴らしい」と言われた事が未だに心に引っかかっている。
他人のフィリピーナ妻と比較して叱咤激励したい衝動に駆られてもそれは逆効果としてしか作用しない。
>日本人に間違えられちゃった(155ページ)
うちのティムが昔こう言っていた。
クロンボの島ネグロス出身でそんな訳があるはずもないが、ここで分かるのは日本人っぽいというのはポジティブな事だということだ。
私は日本人なのにわざわざ海を渡りフィリピーナとの関係を築いてきたが、今更フィリピーナが日本人っぽいと言われて喜んでいる姿を見ると何だか微妙だったりもする。
「日本人っぽいよね」はフィリピーナにとって誉め言葉であり、適宜使えばとても効果がありそうだ。
>経済格差がなければ接点さえなかった(160ページ)
時々私もそう思う。
私がフィリピーノで彼女が日本人男性だったら100%カップルになっていなかっただろう。
また性別なそのままでも日本とフィリピンの経済格差が逆転していたら、これもカップルにはなっていない。
ティムは頑なに否定するが、やはり日本人男性の魅力は経済力に裏付けされたブランドなのだ。
だから日本人が経済格差を利用してフィリピンで酒池肉林を楽しむのは世間がどう言おうと理にかなった行動なのだ。
最近では日本人女性も同じようにフィリピン人男性との関係を楽しむ時代。
経済格差を使って楽しむのも急速に沈んで行く日本にとって今が最後のチャンスなのだ。
>出稼ぎに来ているフィリピン人男性(162ページ)
元カノTのフィリピーナ仲間の何人かは日本人男性と結婚しているにも関わらずフィリピーノとこっそり交際していた。
旦那はオカニ(お金)と日本在住のため、恋愛はフィリピーノというよくあるパターンだ。
相手は出稼ぎに来ているフィピーノだったり、定期的に日本へやってくるシーマン(船乗り)。
日本に寄港するたびに日本のフィリピーナと逢瀬を楽しむのだ。
わざわざ日本に来てフィリピーノと付き合う多くのフィリピーナを見て私はこう思った。
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>結婚してから彼女が強くなった(164ページ)
日本だと女性はか弱いという存在という扱いを受けているが、フィリピンでは女性は男性と比べて弱い存在ではなく、むしろたくましい。
大声を出して誰かを呼びつけたり、女性の行商も大声を出して魚やお菓子を売り歩いている。
生命力に溢れるたくましい存在だ。
私がフィリピン生活で悟った重要事項の一つ。
男性は女性を喜ばせるために神様が作り出した儚いオプション。
大人の玩具と大して変わらない存在なのだ。
本に書かれている結婚した後に彼女が強くなったのは、強くなったのではなく、強いという事実に気が付いたのだ。
日本の女性はおしとやかで男の3歩後を歩くべきという矯正がある。
本来、他の動物と同じく、女性はたくましい生き物で、男性は女性に愛用されるべき存在なのだ。
>日本の子供はわがまま(167ページ)
本に書かれている内容で最も疑問を持ってしまうのがこれだ。
フィリピン現地で生活した日本人は100%この逆の事を言う。
「フィリピンの子供はわがまま」
レストランや公共施設で子供が騒ぎながら走り回るのに親は知らんぷりをして怒らない。
日本人がフィリピンに移住してきた当初の話題はまずココに集中する。
おそらく著者の奥さんの家庭はとても厳格で、自分の幼少期の頃と現代の日本の子供を比べているのだろう。
セブの場合、中間層以上の家にはヤヤ(子守り)が雇われており、寝間着みたいなユニフォームを着て雇い主の子供に付き添っているが、子供が走り回っても全く制御できない。
やはりボスの子供を叱るのは遠慮があるのだろう。
また親はヤヤを雇っているから自分は躾けに関与しないというのがステイタスであり、日本人がそれを見るとフィリピンの親は子供を全く躾けないという印象を持ってしまうのだ。
ちなみに私は子供の頃、ほぼ虐待に近い育ちをしまったのでフィリピンスタイルで子供を自由に放つのは賛成派だ。
もちろんフィリピンの中だから許されるのだが、皮肉にもカワイイちゃんは可哀想な位ティムに厳しく躾けられ、委縮して不自然な性格になってしまうのではないかと時々心配になる。
>家庭第一主義(171ページ)
フィリピンでは日曜日の事をファミリーデーと呼んでいる。
死にそうな患者のいるドクターも「今日はファミリーデーだから」と患者を堂々と放置する光景をみて最初は衝撃的だったが、今では私もファミリーデーという文化を素直に謳歌している。
日本を離れ、フィリピンという人間にとってナチュラルな国で生活すると、いかに日本が人間性を犠牲にし後悔の多い人生を生み出しているのかが分かってしまう。
私が子供との時間を一瞬でも大切にして家族の価値を具体的に感じるようになったのがフィリピン生活での最大の収穫だといえよう。
ただ、この感覚のまま日本へ戻って生活するとサービス残業もしたくないし、日曜出勤もファミリーデーなのでしませんと、途端に変な人扱いされるのがオチだ。
一度フィリピンで生活すると殺伐とする日本社会へは戻れない。
>あの男の子、死んじゃった(177ページ)
フィリピンとは沢山生まれて沢山死ぬ国。
私がジャングルに住んでいた頃はうじゃうじゃいるその辺の子供達に囲まれて生活したいという願望が大きなきっかけとなったが、近所の男の子が亡くなった時の衝撃は今でも覚えている。
日本だったら余裕で助かったはずの命が簡単に消えてゆく。
ティムの妹の子供も数年前に亡くなった。
私がバコロドを訪問した際に足元をチョロチョロ走り回っていたあの女の子だ。
妹夫婦は翌年普通に子供をまた生んでいたが言葉にできない切なさがある。
貧困Cレベルの子供の目は野性的で恐怖を感じる事がある。
人間も動物なのだと思う瞬間だ。
フィリピンという国は良くも悪くもこの世の真実を見せてくれる。
さいごに
フィリピン人女性はたくましい。
何かと日本とは真逆の価値観であるフィリピンの最大のポイントであろう。
日本人男性が日本の常識で家父長制のもとに俺様風を吹かせ、俺がボスだと言い出すと絶対に上手く行かない。
フィリピンで生活し13年が経過し、ようやくたどり着いた結論である。
フィリピーナと上手くやるコツは男の子が母親に甘えるように時々グンニャリと甘える事だ。
そうすることで野生動物に近いフィリピーナという生き物は母性を抜群に発揮し想定以上に愛してくれる。
甘え方上手こそがフィリピーナとの関係を制するものだと考えて止まない。
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