コロナ帰国後の生活 モトボサツ的

モトボサツ流相対性理論|愛すべき「必要アク」な人たち

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フィリピン帰りボサツの気づき

ひとりごと

 

裏があるからこそ表がある

アンチからの痛烈なコメント。

ブロガーの宿命だといわれているが、やはり最低3時間は凹む。

 

 

フィリピンという不条理の塊の世界から日本へ戻ってきたが、日本人だから行けば何とかなるという考えは非常に甘かった。。。

泣きっ面に蜂?

危機的状況にとどめを刺すようなサイコパスが存在する。

たしかに、私は住所不定無職の怪しいおっさん。

しかし、そんな私にも温かい声をかけてくれたり、具体的に助けてくれる人がいるのだ。

日本人なら一度は聞いたことがある「地獄に仏」という言葉の意味を深く噛みしめる。

有り難いという言葉の意味を文字通り受け止めた。

そして同時にふと思うことだが、もし世の中の人全員が仏様のように慈悲深く優しい人だったらどうだろうか?

そもそも、「優しい」という概念は「優しくない」対象があるからこそ成り立つもので、全てが優しかったら、地球上に空気があるくらいごく普通の事として誰も気にとめないはず。

ご存知のようにフィリピン人は自己肯定の鬼であるが、現地語に自己肯定とい単語が見当たらない。

つまり、概念そのものが無いということなのだ。

単語、つまり概念が存在するためには真逆の対象が必要なのである。

優しい人が存在するには優しくない、つまり憎いヤツの存在なくして愛すべき人は存在しない。

つまり必要アクなのである。

 

そう考えると、上司や同僚または隣人でとても嫌いな人がいれば、その人達の存在に対しお礼を言う気にさえなれるだろう。

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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