コロナ帰国後の生活

長崎の闇|長崎からジャカルタへ追放された混血児「お春」の運命が凄い!!

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2013年~2016年 モトボサツ勝手にブログセブ島編 カテゴリー別

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【シーズン1】モトボサツ勝手にブログセブ島編|カテゴリー別記事

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愛と天使の街の悲運な「混血児」たち

先日、長崎からやってきた弟と再会したのだが、訪問先へのお土産を持参して来た。

ロマンの銘菓「長崎物語」。

長崎の土産といえば自動的に「【福砂屋】のカステラ」が有名だが、あれは修学旅行生向けのお土産という位置付けとなっており、ジゲモン(地元民)は長崎物語を訪問先へ持参すると相場は決まっている。

長崎物語がなぜそんなに人気なのかといえば、風化しない美味さと共に長崎の伴天連ロマンあふれるパッケージ。

金屏風デザインが施された箱に収まる筒形のバームクーヘンをゆっくり開封すると、まるでご禁制の品でも手に入れたようなワクワク感がある。

 

 

菓子箱の中には「じゃがたら文」の紹介がある。

長崎の歴史に思いを馳せながら召し上がれと言っているのだ。

寛永16年9月、インドネシアのジャカルタへ向かいブレダ号は出航した。

在留オランダ人やその妻、混血児と呼ばれた32人が乗船していたらしい。

そうやって追放された人から日本に住む家族や親戚あてに送られた手紙をジャガタラ文と呼んでいる。

 

 

勝ち組「ジャガタラお春」

切支丹禁止令で突然追放となったオランダ人とその関係者。

その歴史で必ず出てくるのが「ジャガタラお春(1625~1697)」という長崎生まれの少女。

ジャカルタへ追放の根拠は「外国人と日本人との間で生まれた子ども」であること。

私も混血児の父であるという立場でこの件に関し一方ならぬ関心がある。

250余年にも及んだ切支丹弾圧の歴史。

お春の父親は噂によるとオランダ人ではなくポルトガル船に乗っていたイタリア人らしい。

 

千はやふる、神無月とよ、うらめしの嵐や、まだ宵月の、空も心もうちくもり、時雨とともにふる里を、出でしその日をかぎりとなし、又、ふみも見じ、あし原の、浦路はるかに、へだゝれど、かよふ心のおくれねば、おもひやるやまとの道のはるけきもゆめにまちかくこえぬ夜ぞなき

あれは十月のことでした。うらめしく吹く風の中、夕方なのに、空も心も曇って時雨とともに故郷を出た其の日が最後だったのですね。再び手紙すら見られないほど遠く隔たってしまい、気持ちをお伝えできませんが、 お思いをする日本はとても遠くなったけれど夢の中では毎夜この距離をこえて心を通わせております

 

1646年11月29日、お春はジャガタラの教会において、平戸生まれの青年と結婚した。

父が平戸の商館に勤務していたという記録か夫の母親も日本人である可能性が高い。

夫はジャカルタの会社にて大いに出世しオカニモチになり、7人の子どもを産み、3人の孫をもうけ、財産分与に関する遺言書まで残している。

 

考察とまとめ

フィリピンという変な国から単身帰国し6週間が経過した。

空気が綺麗、水道水が飲める、飯が安くて美味い。

そして圧倒的なオーバークオリティサービス。

コスパの悪いフィリピン生活とは比べ物にならない程社会が完成している。

しかし、戦後培った資産をただ食いつぶすだけの日本には病院、歯医者を中心にシニアの巣窟。

あと10年もすればそれこそ寝たきり老人の山だ。

「孫の大学受験までおばあちゃんを生かしてください」

昔、老人施設を管理していた頃、入所者の家族からそう懇願されたことがある。

胃ろうという胃に穴を開け直接養分を流し込むことでただ延命させるのだ。

しかし、感情はある。

初日の出の写真を撮影し大きく引き伸ばした写真を見せると動かぬ体で涙を流す。

生き地獄。

そういう歪んだ延命が日本中で起きている。

急速に終わろうとしている日本。

そしてカワイイちゃんの母国フィリピン。

次の大統領次第では大化けするポテンシャルを秘めた平均年齢24歳のフィリピン。

日本を出たジャガタラお春コースの方が先行き明るい気がしてならない。

 

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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