時は16世紀後半。
ポルトガル人が種子島に漂着し伴天連との交易が始まった。
カトリックや火縄鉛の玉のでる黒い筒とともにポルトガルから長崎に伝わった「カステラ」。
今時の若い人のことは知らないが、私の歳の長崎人が選ぶカステラは福砂屋だ。
文明堂は所詮福砂屋の弟子がオープンしたので本家には勝てないという前時代的な保守マインドに縛られながら育った世代にとってカステラの本家福砂屋はカステラ界の絶対王者。
全国的に有名な文明堂は「カステライチバン電話はニバン♪」というあのTVコマーシャルで全国展開に成功し、カステラ界の王座に輝いたのだった。
大学時代のガールフレンドのアヤちゃんは神奈川育ちの元ヤンで、文明堂で働いていた。
まだ何も知らないガキんちょだった私に男女の世界を含めた世の中の真実を手とり足取り教えてくれたが、その中で「カステラはカフェオレとやるのが最高だ」という哲学を語った。
長崎出身の俺様にカステラの食い方を指南するとは釈迦に説法だと思いながらも身も心もB型かつ早熟だった彼女の意見に大人しく従ったものだった。
さて、今更長崎へ戻ってみると今でも長崎の産業は何かとカステラに固執している。
街の中心部にもカステラという文字を入れたカフェもあり、お土産もカステラという文字は最も目立つ。
原料は卵、小麦粉、砂糖…と原料はいたってシンプル。
坂本龍馬がカステラの味に感動して早速作ろうとし、日本初の商社である亀山社中の雄魂姓名録に、カステラのレシピが残されている。
玉子百匁、うどん七十匁、砂糖百匁(=375グラム)、此ヲ合テヤク也。
飽食の現代社会でさんざん肥えた舌を持つ現代人にとっては400年前のカステラをそのまま食べると物足りないどころか滑稽な古代菓子という感じになってしまう。
だからカステラメーカーは温故知新、しのぎを削り、いま勢力図が書き換わろうとしている。
4位 チョコラーテの松翁軒
天和元年創業の松翁軒は従来のカステラに水飴を添加するなど大胆にチューンし、独自性を高め続けてきた。
八代目の山口屋貞次郎は、当時まだ珍しかったチョコレートを使用したカステラ「チョコラーテ」を生み出した。
私が大学で東京へ出たときに母が松翁軒のチョコラーテを送ってくれたのが今でも忘れられない。
3位 和泉屋
実は今回長崎へ戻って初めて聞いたカステラメーカー。
二流メーカー感が止まらない。
しかし、伝統は時として保守的な足かせを生み気が付けば博物館行きとなる。
泉谷屋の本社は雲仙という変な場所にあるのだが、チャンポンをはじめ長崎の食品業界では飛ぶ鳥を落とす勢いだとか。
後発ながら、アイデア勝負で若年層の心をつかみ、和泉屋の名前は長崎人ならだれも知っているレベルまで持ってきた。
現在雲仙本社工場の施工を弟の会社が請け負っているらしく、雲仙ツアーの最中に泉谷屋の状況を詳しく解説された。
2位 三つに分かれた文明堂
やはり日本人の認識ではカステラといえば文明堂の認知度が高い。
福砂屋の弟子が作った文明堂は次々と暖簾分けをし、フランチャイズ的な成功を収めた。
そして今では銀座文明堂、日本橋文明堂、文明堂総本店と大きく派閥が分かれる。
それぞれで味も違うらしい。
福砂屋も文明堂にも五三カステラというものがあるが、卵黄と卵白の比率が5:3であることが共通で、今風にいえばプレミアム商品だ。
その違いは福砂屋はマッタリ、文明堂はアッサリとしているといわれる。
1位 カステラの本家「福砂屋」
寛永元年創業の最も古い歴史を誇る。
創業以来守り続けて来た手作りと防腐剤を入れない手法が特徴で、賞味期限はわずか9日間。
別立法と呼ばれるやり方で白身と黄身を分け、手作業により白身で泡立てる。最後に黄身とザラメを追加して攪拌するらしい。
まとめ
日本は本当に美味いもんであふれている。
カステラなんかよりも実際ローソンの120円の菓子パンのほうが安くて美味いのかもしれない。
結局今となってはカステラなんて三時のおやつに自分で買うもんじゃなく、お土産とか贈答として貰うものだ。
長崎へ旅行または出張で来た人が職場へ配りやすいパッケージでさらにカステラという縛りにとらわれない自由な発想がカギを握る。
泉谷屋のようにこれからカステラを材料とした新進気鋭のメーカーが勢力図を作り変えていくのだろう。
そうは言っても私は福砂屋と松翁軒が好きだ。
こちら良かったら応援クリック強めにお願いします!
↓↓↓
SPONSORED LINK