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本物のバックパッカー
最近目を引いたニュースはマニラで職を失ったフィリピン人が徒歩でレイテ島の実家まで歩いて帰ったという話。
レイテ島は陸続きじゃないのにどうやって辿り着いたのだろうか?
コロナ死を恐れてマニラからレイテ島のタクロバン市まで徒歩で帰省したやつらの話#866kmあるらしい#陸続きじゃないので最後は泳いだのかなhttps://t.co/429xirBhA3
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) May 14, 2020
少し具体的にすると、コロナで仕事もなくなり生活に困った建設現場労働者グループが7名が3月13日に マニラ北部のValenzuela(ヴァレンズエラ市)を出発し866.2キロ先のレイテ島タクロバン市をめざした。
なぜ徒歩だったのかといえば都市封鎖によりレイテへ向かうためのバスが運行していなかったのだった。
ルソン島ではロックダウンのため検問が設置され、町から町への横断する承認を待つ間は検問所配属の兵士から食料を分けて貰い夜は道端で寝た。
グループの中の一人ボレナ氏は地元のラジオ局ボンボランティオタクロバンに食料と水の支援を呼びかけたあと国民の意識が向けられた。
また、レイテ島の船着き場があるMacArthur(マッカーサー)のバランガイキャプテンにフェリー支援を要請し援助を受けることができた。
ボレナ氏はまたタクロバンへの旅の道中に人々から助けて貰っているのでダイジュブ(大丈夫)だと家族へ向けて手紙を送った。
もう一つの物語
この記事によると、移動制限のために4日間歩行し7週間隔離された後、失業者グループがついにレイテ島に到着したと書いてある。
つまり、2か月歩き続き続けたわけではないようだ。
Elwin Aralar氏(25歳)は過去2年間マニラで建設ワーカーとして週PHP4,500を稼いでいたが職を失った。
しかし、今は再び家族と一緒にいるのは気持ちがいいと述べている。
「ここにいたら飢餓かコロナウイルスのいずれかにやられるというのが私たちの最も強力な動機でした」
「マニラでは故郷の村のようには誰も助けてくれないことに気づきました。彼はその週に給料をもらえなかったのでお金がなかった」
「毎日午前5時から午後8時まで歩き、夜は待合小屋やコンビニの外で休憩した」
「ライスしか持っていなかったので、警官や見知らぬ人が食べ物をわけてくれた」
300 kmを超える4日間のウォーキングの後、グループは3月18日にカマリネスシュルのデルガジェゴに到着し、入場を拒否された。
検疫は2週間の予定だったが、感染テストの結果を待ちを合わせてほぼ2か月の旅となった。
「お金がなくても空腹になることはないのでここにいるほうがいいですが、高給の仕事を見つけることができるかどうかは疑問です」
結局またマニラのロックダウンが解除され同様の仕事が見つかったら村を出て魔宮マニラへ出稼ぎに出るのだろう。。。
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