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そんなにフィリピンが好きなの?
始めてあった日本人に自己紹介する際、フィリピンに13年住んでいると言うとこちらが恥ずかしいほど驚かれてしまう。
それは日本人だけじゃなくフィリピン人も同じ反応だ。
フィリピン人の場合、なんで日本みたいに素晴らしい国を出てフィリピンなんかに住んでるのか?という尾ひれがつく。
この続きとして「あんたどんだけフィリピンが好きなん!?」と言われるが私は正直にこう答えている。
最後に住んでいた日本の住所が福岡県の博多区だった。
今でも博多区役所で海外転出届を出した時の事はよく覚えている。
やはり私にとって記憶に残る刺激的な場面だったのだ。
海外転出手続きの際、行先の欄に「フィリピンへ行く」とだけ書くように言われ日本らしくない雑な内容に違和感を感じた。
つまり、「その後のことは知らねぇぞ」と言われた気がした。
私の感覚ではフィリピンを含む東南アジアに行くこと自体が物凄い自己責任であると言う思いがあった。
海外からの帰国者の検疫で東南アジア渡航歴のある人という項目は正に海外から変な病原体を持ち込まれるイメージが湧いていたし、皮肉にも今では自分自身がその対象となっている。
最初から深刻にフィリピンに骨をうずめる覚悟があったわけではない。
飽きたら1、2年で軽く戻ってくるつもりだったのだが、家財道具を一切無くし、一人で住んでいたアパートを引き払い最低限の物をスーツケースに押し込んで日本を出てしまうと簡単に戻れないことに気が付く。
フィリピンから日本へそれぞれ1週間程一時帰国したことは4度あるが、それは旅行者という身分で戻って来たのだがすべてホテル滞在。
デフレと言われる日本だが、それでも宿代と飯だけで1週間で10万円ほど使ってしまう。
その結果、10年以上海外で生活して痛感することは日本に戻れる場所を残すべきだということだ。
海外と言っても特にフィリピンのような変な国では医療体制を含め元日本人感覚の私としては不都合や理不尽さが日常。
今回のコロナのように生命の危機にさらされた時に日本人のくせに日本へ戻れないという切ない状況となる。
健康と少しのオカニ(お金)があれば楽しく生活できるが、歯車が一歩でも狂うると死活問題へと直結するフィリピンライフ。
骨をうずめる覚悟でフィリピンへやってきたシニア層の人達がここの生活に耐えられず日本へ引き上げたケースに何度も直面した。
今コロナで大変な状況のフィリピンに残っている人はそんなにフィリピンが好きなのか?
コロナでビジネスを失ったり解雇された友人知人の多くは日本へ一旦戻って立て直しを図っているが、彼らは一旦引き上げる場所が確保されていたという条件が共通している。
逆に言えば、この期におよんでフィリピンというコロナの巣窟に居続ける人の多くは心中しても良いくらいフィリピンが大好きというよりも戻る場所がないという状況なのではないだろうか?
戻れる場所の有無
何かあった時に日本へ戻れる場所があるかどうかの調査だ。
今回はツイッターで87名の方が投票してくれた
フィリピン在住者の方へ質問させてください
日本へ戻る場合(一時帰国、引き上げ問わず)
転がり込む実家や要場所がある人の割合ってどれくらいなのでしょうか?— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) July 28, 2020
アンケートによると72.4%の人が転がり込める場所を確保した状態でフィリピンに住んでいる。
戻る場所がないから必死でフィリピンでサバイバルしている私のようなケースはどちらかといえばマイナーという事が分かった。
時代の移り変わり
昔のフィリピン移住者はさすらいながら居場所を求めて流れて来た人が多かったように思える。
今でもその傾向は残っており、国籍問わずフィリピンに住んでいる人の多くはバツイチだ。
だから私は名刺の裏側にバツイチという表記を真っ先に入れている。
ここで一気に距離が縮まるのだ。
しかし、時代は変わり、親や兄弟姉妹がフィリピンに遊びに来る人という人も随分と増えた。
自分の心を客観的に読めばきっと羨ましいのだ。
日本に戻る場所のないマイナーな27.6%の人。
私は20代前半のころから既に家族との縁が薄かった。
昭和の高度成長期に育ち、また父の経営するブルーワーカーな会社もそれなりに上手く回っていたのでお陰様で貧乏をしたことがない。
それだけで御の字なのだが、残念ながら意味不明なプレッシャーばかりが大きい愛の薄い家庭だった記憶がある。
「お前は長男で親戚の中でも一番年上なんだから、みんなの見本になるように一流大学へ行かなきゃならない。」
幼少の頃からずっと呪文のように聞かされ続け、逃げる勇気が無く結局忠実に実行した。
プレシャーに耐え結果も出したつもりだったが、大学を卒業してみると弟が家督を継ぐう形となった。
ゴッドファーザーで言えば当時の私はソニーとフレドを足して2で割ったような存在となった。
あれから家族との縁が一気に薄くなり、終いにはフィリピンという変な国に流れ着き、シガラミの全くない島で生活をするようになった。
そう。
フィリピンが好きなんじゃなくて、ようやく見つけた私の居場所がフィリピンだったのだ。
昔父の会社で働いてた池田さんという達観した男性がいて、唯一池田さんだけが私の身を案じてくれていた。
「ボサツちゃん、お前が戻ってくる場所はちゃんと確保しておくから大丈夫だぞ」
親でもそんな言葉をかけてくれたことは無かった。
そうだ、私が自身はカワイイちゃんがどうなっても戻って来れる場所を作らなければならないのだ。
家族愛の薄さは私の代で終止符を打とう。
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