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最後の会話|どこも痛くない、苦しくないって凄いことなんだよね!!

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O師匠
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有難みの本質

先日、フィリピン繋がりの知人が亡くなり、残された若いフィリピーナ未亡人の行く末に関する記事を書いたが、大事な事を書き忘れていた。

ガンの手術後、再発検査のために日本とフィリピンを2度往復していたのだが、別の箇所への転移が見つかってしまった。

彼と最後に会って話をした時、深いため息をつきながらこう言っていたのだ。

 

「どこも痛くない、苦しくないって凄いことなんだよね」

 

 

無いものねだりの権化とも言える人間は常に他人と比較し不満を探しながら生きている。

  • 俺よりアイツの方が金がある。
  • アイツの奥さんの方が若くて美人。
  • 俺はこんなに努力してるのになんで?

他人が羨ましがることにしか価値を感じない。

つまり、努力せずに皆が持っているものはあって当たり前ということだ。

しかし、失って初めて分かる価値の中で最も偉大なのが健康。

左脳で分かっていても右脳でどれだけその尊さを感じることができているだろうか?

人間関係の歪みや仕事上のストレスなど、苦しい事が8割で構成される一般人の人生だが、今この瞬間、身体的にどこも痛くない苦しくないという人は多いはず。

しかし、その事実にあえて感謝し喜ぶ人はほぼいないだろう。

フィリピンで14年間暮らしてきて最も辛かったのは4度目のデング熱にかかった時だった。

高熱、激しい頭痛、味覚障害、定期的に襲って来る呼吸パニック。

体がユデダコみたいに真っ赤になった。

ドクターから輸血のドナーを自分で探せと言われて人生詰んだ気さえした。

幸い入院7日目あたりから回復し、現在も引き続きセブ島で生きながらえているが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。

健康の有難みが何よりも身にしみたはずだったのに、回復してから健康のありがたみを心の底から感謝したことはない気がする。

 

もしあの時フィリピンへ来なかったら

フィリピンで生活しながら時々日本の事をふと思い出すのだが、最後半年ほど住んだ福岡市博多区での記憶も蘇る。

サラリーマン時代の上司が定年後に作った会社の手伝いをしていたのだが、朝から東公園という税金で整備された素晴らしい公園をジョギング。

そして、ベンチに座ってじっくり汗を流しながら鳥の声に耳を傾けるのが小さな幸せだった。

ちょうど部屋へ戻る頃に県庁へ登庁する職員たちとすれ違う。

平成不況のど真ん中の時代に公務員は勝ち組と言われていた。

皆うつむきながら奴隷のように歩き誰も私と目を合わせる人などいなかった。

当時はありふれた光景としてあまり気にならなかったのだが、フィリピンでの生活を重ねるにつれ、日本社会の象徴として蘇ってくるのだ。

インフラは整備され社会保障システムも完ぺき。

医療水準も高く対価以上のサービスを受けることが出来る。

日本に残ったフィリピーナは勝ち組扱いされ、一般のフィリピン人からは憧れの国扱いがなされる。

 

私が時々想像することがある。

モトボサツ
もしあの時、海外転出届を出さずに日本で生活していたら今頃どうなっているだろうか?

縁起でもないが、もうこの世に存在していない気がしてならないのだ。

それはウツになって自殺しているかも、ストレスを溜め過ぎガンになって既にあの世かもしれないというネガティブな予感。

何から何まで合理的な日本とは異なり無駄に大変な目に遭いやすいグチャグチャな国フィリピン。

しかし、日本特有の閉鎖的な社会によるストレスから解放されたのは確かだ。

時々絶望しながらも最後にたどり着くのはフィリピンだから生き伸びたのかもしれないという思い。

 

まとめと考察

私の知人の最後の言葉同様、死期が迫った人の言葉はメッセージ性が高い。

フィリピン、日本という場所を問わず人生の自己満足度を上げるのは健康という状態への感謝であろう。

年収や生活状況とは関係なく誰にでも出来ることなのに誰もやっていないこと。

朝から10分間だけ座禅をするのだが、その際に健康を感じつつ具体的にそのことに感謝を導入したい。

彼の最後の言葉を無駄にせず最大限に生きてみたいと思う。

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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