午前6時45分。
既に鬼渋滞と化すセブの現状はヤバイ。
歩いた方が絶対早いと思う事多々あり。
現在、朝7時半からセブ州庁舎で日本語授業を行っているが、時間通り辿り付くには毎回6時20分に家を出なければならない。
うちからキャピトル迄モノレール作ってくれんかな。。。
まあ、しかし大学の生徒と比べて真面目に参加してくれるので非常に助かる。
日本の地方自治体と関係している部署の人達が参加するのだが、殆どが富裕層の家。
州庁舎、市役所、税関へそれぞれ一族の人間が入り込めば無敵だ。
それはセブだけではなくフィリピン全土がそういった形で動いている。
富は偏り貧富の差は広がるばかり。
ところで、
渋滞中やることがないので、携帯弄るか周りを傍観するうちに色んな事に詳しくなってしまう。
たとえばジョリビー。
良く見ると指が4本。
日本だと即社会問題になるだろう。
指4本を出すとそれは部落差別の象徴だ。
なぜ4が差別なのか?
4とはつまり四本足の動物の事。
その昔、家畜を殺し肉や内臓を売る不浄な商売をしている者という扱いを受けた。
涼しい顔してその肉を食らっているのは誰だ?
人間なんてララララララララ。
屠殺という漢字変換は部落差別関連用語としてフォントで出てこないようになっている。
漫画『北斗の拳』連載時に主人公ケンシロウが極端に太った敵役に対して「ブタは屠殺場へ行け!」と言ったセリフが、コミックスの重版の途中より「屠殺場」という表現が「ブタ小屋」に変更された。
アメリカ系のキャラは4本指が多い。
スポンジボブ。
ミッキーマウス。
ドラゴンボールのピッコロは原作ではこのように4本指だったが、諸事情によりアニメでは5本となった。
差別に配慮すること自体が大いなる差別の証。
フィリピンに住んで客観的に日本を眺める機会を得た。
日本とは差別愛に富む国家であると認識する。
フィリピンもバリバリ身分社会だが、日本の差別に比べると大らかな感じだ。
日本の場合村八分や部落などのように同格のコミュニティーから排除する恐怖を与える。
先日のブログで書いた便所飯も同じ所へ端を発するだろう。
▶こちらをご覧ください
全然関係ない場所では一蘭で孤独飯を愛するが、大学や職場などのコミュニティーでは仲間はずれ感を極端に嫌い一人で飯が食えない。
フィリピンにももちろんイジメはある。
イジメは弱肉強食である自然界の必然。
しかし、日本とフィリピンでは決定的な違いが一つある。
それはイジメられる側の人間のマインド。
フィリピンではイジメられる側でさえ”自分は悪くない”と自己肯定する。
日本は真逆。
自分が属するコミュニティーから否定され、そして自己否定。
自ら自分の存在を消す行為。。。
フィリピンに自ら自分の存在を消す行為が少ないのはここだろう。
幼少期から親や周りから人格否定されるような怒られ方をしない。
だから自己を愛するセルフィーな人間になれる。
自己中だらけだと国は発展しないが、幸福度は高いだろう。
日本人がフィリピンから学べる事。
それは自己肯定。
ただしP的副作用にご注意ください。。。
スポンサーリンク