Jセンターモールの駐車場の突き当りに洗車場が併設してある。
ティムはそこの常連客だ。
車くらい自分で洗え!と言いたいのだが、それを言うと100%喧嘩になるのが分かっているので不毛な口論は避けるようにしている。
実はその洗車場でちょっとした事件が起こった。
「I will tell you something...」
ティムがこの切り口上で話をしてくるときは決まって悲報系だ。
「Jセンターの洗車場って経営者が変わって、スタッフも全部変わったって知ってる?」
そんなもん知るわけがない。。。
「洗車終わったら灰皿に入れてあった5ペソと10ペソだけが無くなってた!」
「そりゃ無くなるだろう。。。フィリピンだし」
先日私が自分の小銭袋から5ペソと10ペソをアミーガの中へ寄付したばかりだった。
被害額およそ70ペソ。
ティムは声を大にしてわざとコインが消えたと騒いでみたら、スタッフはただニヤニヤしていたらしい。
フィリピン人のこういう態度は反吐が出るほど厭らしい。
フィリピン人はプライドが高いと聞くが、それは尊厳をわきまえた誇り高き生き方ではなく単にコンプレックスの裏返しで強がっているだけだ。
犯人は洗車の担当者だとフィリピンの大学生でも分かる。
油断も隙もない国だがここでは盗まれた側が悪い!
そこに山があるから登るという登山家の心理と同じで、そこにコインがあるから盗むのだ。
金目の物はなんでも盗む。
加害者の居ない世界。こちらをご覧ください
欲望に忠実であることが許される国フィリピンは性悪説の舞台だと考える。
荀子は人間の本性は欲望的存在にすぎないが、後天的努力により公共善を知り、礼儀を正すことができるとして、教育の重要性を説いた。
私はフィリピンに欠けているのがこの教育だと常に思いながら生活している。
人間の本性は根本的に変えられないとしても、後天的な作用により我慢という名のもとに欲望を制御することが可能であると考える。
日本に住んでいた私ならここまでの確信に至ることもなかっただろう。
フィリピンは良くも悪くも素直。
それが良い方向へ作用する場合は謎のホスピタリティーに見えるのだろう。
神の愛する人達を愛する?
わたしは逆立ちしても彼等を愛せる気がしない。
とりあえず、Jセンターの洗車場をご利用の際は盗られることを前提に!
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