クイーンvs元カノT
悪魔のチャリでお馴染みのF氏から借りた虹の谷の五月という小説だが、セブ島の田舎町を舞台に描かれている。
ガルソボンガ地区というバランガイが舞台なのだが、そこは創作で実在しない。
実在する中で登場する街がBarili(バリリ)だ。
ここはセブ市から島の西側へ出るために山越えをするルートの峠を抜けるあたりで出てくる街だ。
バリリが見えてくるとそろそろ海だなというイメージ。
私にとってバリリといえばセブ土産として有名なお菓子「OTAP(オタップ)」とタグ付けされている。
OTAPのブランドとして知られているシャムロックの創業者であるパラス家はバリリに定住しており、たまたま8年程前、知り合いに引っ張られパラスさんの家の誕生パーティーに参加したことがあったからだ。
ところで、虹の谷の五月という小説を借りて読むことになった発端は、F氏とレッドホースで乾杯していた時に、私のブログによく登場する元カノTが小説に出てくるクイーンという成金フィリピーナのイメージと重なるという話だった。
そこで、本当に似ているのか気になって読み始めた次第。
上巻の重要人物であるクイーンという女性の本名はシルビアなのだが、日本人でオカニモチ(金持ち)の爺さん画家と結婚し、爺さんが死んだので巨額の財産を引き継いで故郷に錦を飾った形だ。
ちなみにシルビアというフィリピーナの名前は珍しく、私は一度も同じ名前の人に出会ったことがない。
さて、上巻を読み終わったところでクイーンと元カノTの共通点を箇条書きにしてみよう。
二人の共通点
元カノTもクイーンもセブ島の山奥から日本へ渡り人生が180度変わり、山の中に自分の銅像に匹敵するような立派な家を建てたという部分は共通している。
クイーンの場合、画家の爺さんが死んだのを期して、故郷にハウスオブクイーンと呼ばれる御殿を建てたのだが、その際、セブ市からクイーンがベンツでやってきてちゃんと家の前まで通れるように自費で道路を整備したのだが、元カノTも自費で川を渡る橋を作っている。
クイーンが雇った職人の日当が1日1000ペソという感覚も似ており、元カノTもタクシーの運転手にチップとして1000ペソ渡していた。
その時流石に私は慌てて「オイオイ1000ペソも渡すん?」と声を出してしまったが、「だって可哀想でしょ」という謎の同情心を表明していた。
私は確信した、
ビサヤ語のLuoi(ロオイ)の響きには相手にとって救いのない上から目線が基本となっている。
自分も可哀想な人と同様の状況だとおそらく出て来ない気持ちと表現だからだ。
悲劇を見るたびに「Luoi(ロオイ)」とだけ言っているからフィリピンは本質的に改善されないのだと考えながら生活している。
クイーンと異なり、元カノTの場合、毎年セブ島のジャングルエリアへとわざわざ戻ってくるのだが、その時に必ず山の民たちをかき集めて大規模に食い放題パーティーを開くのだ。
全部知り合いなのかと聞くと殆ど見た事がない人ばかりだというので驚いた。
日本では一般的なレベルの人でも、フィリピンの貧しい人たちに比べたら歴然と富豪扱いになるのだ。
ここから先は18R的な話になってしまうので恐縮だが、昭和のハードボイルド小説にありがちな濡れ場が登場する。
まるで官能小説のような展開が(上巻242ページ)に出てくるのだが、40歳を超えた豊満バディーのクイーン様は若干13歳のトシオに向かって自らの股間を観察しながら念入りにタオルで拭くように命じるのだ。
「ちゃんとお拭き、胸から脚まで」
「股間をしっかり拭いとくれ、股を拡げるからね。」
これがブログ記事だと私のようにアドセンスから停止される表現だ。
その後、クイーンとトシオがどうなったのか気になるかもしれないが、ここから先は書かない方が良いだろう。
元カノTも男の子が大好きなので、もし気に入りの少年がいたら同じような行動に出ている気がする。
そしてクイーンとの本質的な共通点はベッドの上では絶対Sであるということ。
私はまるで赤子みたいな扱いをされるので女王様に慣れるまでわりと大変だった。
日常生活で彼女は表面的にMな性格なのだが、やはり人間とは真逆の事をすることによりバランスを取る生き物のようだ。
上巻の総評
クイーンと元カノTの違いは日本へ行く過程における生い立ち。
元カノTはマニラのプロモーターの所で半年間のトレーニングを受け、そのまま東京へジャパユキさんとして働きに行った。
一方クイーンはある男を追ってネグロス島へ渡り女性戦闘員としてゲリラ活動に参加したのだが、男に捨てられてマニラへ渡った。
マビニで売春せずに高級ホテルのウエイトレスの職に就き、そこで日本人のオカニモチ(お金持ち)に見初められる。
クイーンは小説の途上人物ということもあり、バイオレンス的な要素で脚色されている。
元カノTは子供の頃から外国人と結婚して別世界の人間になることに憧れていた。
一方、クイーンは惚れた男と一緒にいたかった呪縛から離れられずにいた。
ここはジャパユキさんでも同じことが言える。
日本にせっかく働きに行ったにも関わらずフィリピンに置いてきた男の事が忘れられず、結局フィリピンへ戻って貧困層に逆戻りするケースも多々ある。
そしてこう言うのだ。
「ボサツさん、私日本行きたいから結婚して」
そんな元ジャパユキさんの慣れの果てとセブで出くわすのだが、99%日本へ戻って日本人と結婚して稼ぎたいと後悔しているが、明らかに無理だろう。
平均年齢23歳の国では毎年大量のピチピチ18歳が量産されている。
フィリピンファンのオヤジどもは、純粋に若さを求めてフィリピンへやってくるといっても過言ではない。
そこをわざわざ40歳を過ぎで妙に擦れたフィリピーナを選ぶマニヤな日本人はいない。
ところで、虹の谷の五月は日本語で書かれている小説なので、当然ながら中身は日本人が主人公で日本語が舞台の小説とほぼ変わらない。
思考も展開も日本のままなので読み始めた頃はかなり違和感があったのだが、読み進むにつれ舞台となっているガルソボンガ地区が自分の居場所みたいに感じてきた。
小説マジック。
下巻の感想をぜひお楽しみに。
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