フィリピン人ってどんな人 俺のビサヤ語

【確信】フィリピン人と日本人の思考の差は「基本文型」が作っている!!

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言語と思考の違い

人間の思考は言葉によって作られる。

それは海外に住み、複数の言語が話せるようになって確信したことだ。

たとえば、空腹を感じた時に日本語であれば「あ~お腹へった」、ビサヤ語であれば「Gutom kaayo ko」、英語なら「I'm hungry]とそれを口に出さなくても頭の中で言葉化されているだろう。

言語には4つの性質があり「DISCRETENESS(分離性)」、「GRAMMAR(文法)」、「PRODUCTIVITY(生産性)」、「DISPLACEMENT(超越性)」の機能に分かれる。

  • 「分離性」とは単語単位で構成されるということで個々のパーツが組み合わさることで言語が新しい意味を持つという性質を指す。
  • 「文法」とは、それらの音や単語がどのように並ぶのかを定めたルール。
  • 「生産性」とは、言語を使って無数の表現を行う能力のこと。
  • 「超越性」とは、言語を使って「目の前で起きていない出来事」について話す能力。

そして、思考とは言語から生まれる結果論であり、特に「文法」の違いは思考の優先順位に作用し国別の特性を生み出す。

私の友人で「マイルをためて世界旅行をするセミナー」をしていた人がいた。

残念なことに南米で事故に遭い帰らぬ人となってしまったのだが、彼はアメリカのバークレー大学を卒業しており英語がかなり堪能だった。

普段はニコニコ微笑みながら温厚で紳士的な態度なのだが、英語を話すとまるで別人のようにアグレシブになる。

顔つきもまるで別人。

このギャップをとても興味深く観察していたのだが、この言語と性格のスイッチングは外国語を流暢に話す人の共通点といえる。

ちなみに、僭越ながら私の場合、ビサヤ語で会話をしている際には感情をダイレクトさらけ出せるオープンマインドなキャラに切り替わる。

日本語を話している時には本音をさらけ出さないケースが多いのだが、現地語だと嫌なものは嫌だとハッキリ言えるのが不思議だ。

つまり、フィリピン人がおしゃべりで思ったままに表現するのは言語が作っているキャラだと考える。

日本人の思考は日本語によって作られ、アメリカ人は英語、フィリピン人はフィリピンの現地語によって構築される。

同じ日本語でも長崎弁を話す時の自分と北九州弁を話す時に自分は確実にキャラが異なっている。

 

チキンを食べる時の思考

フィリピンといえばチキン。

私個人レベルのチキン年間消費量は日本で生活した場合に比べ10倍、いやそれ以上だと確信する。

というわけで、チキンを食べる時の思考を言語別に比べてみたい。

 

 

  • 日本人(SOV):私はチキンを食べる
  • アメリカ人(SVO):私は食べるチキンを
  • フィリピン人:(VSO):食べる私はチキンを

日本語の基本文型は「SVO」で「主語、目的語、動詞」の順に言語化され、会話の中で「私はチキンを」と言った段階で聞き手は「食べる」んだろうと想像がついている。

最後に動詞を言う日本語の特性がセンテンスの中の「動詞」を言わなくても相手が察するという文化が発達したのだ。

つまり空気を読み合いながら生活する日本人の特性は日本語の基本文型が作るものであると言える。

フィリピンでは日本語と正反対に「動詞」から真っ先に始まるので相手の気持ちを察することなく自己主張がとても強い思考を形成する。

またフィリピン語には男性名詞と女性名詞の区別がなく、英語の「HE」や「SHE」を表す第三者を示す時は「Siya」という単語で統一される。

つまり、当事者の「Ako(私)」と目の前にいる「Ikaw(あなた)」以外の存在は重要でなく、他人と自分の垣根が低くなるのも基本文型の構造による影響が大きい。

フレンドリーだと言われるのはこの特性がポジティブに解釈された時、借りた物を返さないのはネガティブに作用した場合である。

これが英語となってもフィリピンの現地語が作る思考のままだと、主語の「HE」と「SHE」の扱いが曖昧ですべて「SHE」で統一されがちだ。

 

イノセント
フィリピン人との会話で主語が一体誰なのか分かりにくい理由ね
モト先輩
男性の事をSheって表現すると実はオカマだったのかと思ってしまうよ

 

まとめと考察

英語を勉強している日本人は多いが、言語が作る思考を学ぶという事を意識している人は少ないと思う。

アメリカ人やイギリス人は「私は食べるチキンを」と思うのだ。

英語脳という言葉が流行っているが、英語を発した途端に「SOV」という日本語の思考から「SOV」の思考となり性質までもアグレシブになることであると考える。

英語が話せる人の定義はTOEICが900点を超えるとか、英検1級合格とかではなく、SVO的な思考とキャラが丸ごとスイッチ出来ているかどうかである。

そうなるためにはその国の人の歩き方、接し方、笑い方、すべて模倣してトータル的に見につくものであり、勉強のための留学をしているようでは向かっている方向が違うのだ。

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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