モトボサツ物語

【漂流対決】ジョン万次郎vs野村長平|人は幸せになるために生まれて来たのではなく生きるためだ

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2013年~2016年 モトボサツ勝手にブログセブ島編 カテゴリー別

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【シーズン1】モトボサツ勝手にブログセブ島編|カテゴリー別記事

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私の「ザ・サバイバル ヒーロー」たち

小野田寛郎(1922年- 2014年)

2013年からなんとなく書き始めた「モトボサツブログ」だが、当初、2年間のセブ島でのジャングル生活の様子を赤裸々に書き、ストリート系ブロガーというカテゴリーが確定した。

フィリピンでジャングル生活といえばピンと来るのが「小野田寛郎元陸軍少尉」。

ブログ読者の方からはジャングル繋がりで「小野田さんのイメージを持って読んでいた」と何度か言われた事ある。

 

人気記事:元空手家の本能が目覚める|邦人セブの山奥で殺・・・という見出しが頭をよぎった夜

 

まあ、本人は軍服を着ているわけでもなく、いたって人畜無害な一般市民未満という風貌なのでなんだか申し訳ない気分だったが、そういえば私も小説を読む際には、いつの間にか作者の風貌や人柄が勝手に出来上がっている。

実際のセブ島ジャングル生活で、小野田さんの事を具体的に意識したことは無かったが、うっそうと茂るヤシの木を上に眺めながら「きっと昔の兵隊さんはこんな山の中でアメリカ軍やゲリラと戦ったんだろうな」と思いを馳せることはよくあった。

 

小野田少尉プロファイル

 小野田寛郎(おのだ ひろお)さん 1922(大正11)年生まれ。元陸軍少尉。日米開戦後の44年12月、フィリピン・ルバング島に派遣され、以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行。74年3月、作戦任務解除令を受け、51歳で日本に帰還した。翌年ブラジルに渡り、牧場を経営。その後、野外活動を通して子供たちに自立の大切さを説く「小野田自然塾」を設立し、講演活動などを続けた。
 写真は、フィリピン・ルバング島で救出された小野田寛郎元少尉(1974年03月11日) 参照元

 

ジョン万次郎(中浜万次郎)(1827年-1898年)

 

かつて、ブログの読者の方からプレゼントして貰ったのが「ジョン万次郎」という本。

そういうイメージをもって私の記事を読んでくれている方もいると知り感激至極であった。

ところで、ジョン万次郎と聞けば「居酒屋チェーン店?」と思う人も多いだろう。

幕末の土佐藩といえばヒーロー揃い。

土佐の有名人を挙げると、坂本竜馬、岩崎弥太郎、板垣退助、、、と続続と出てくるが、「ジョン万次郎」を挙げる人はあまり多くないのかもしれない。

 

イノセント
なんだか、売れない芸人みたいな名前だわ

 

幕末の偉人とは思えない芸人風の名前が著名人枠から外れそうになる要因を作っているのかもしれない。

 

30秒で分るジョン万次郎のあらすじ

14歳の頃、土佐で漁師のバイトをしていた際、運悪く?嵐で船が難破し、6日間も太平洋を流され、終いには4名の仲間と共に絶海の孤島「鳥島」へ漂着。

飲み水もない火山の無人島で生活し、143日目にしてたまたま立ち寄ったアメリカの捕鯨船のクルーに救助される。

当時の鎖国中の日本では西洋人は一律「南蛮人」と呼ばれ鬼畜扱いされていたが、無人島で野垂れ死ぬよりマシと5名全員が鬼の船に乗ることに。。。

船内作業を手伝いながら、見よう見まねで英語と異文化を吸収していく。

他の仲間は途中で、カメハメハ大王の統治するホノルルで下船するが、万次郎は船長にとても気に入られており、養子としてアメリカ本土へ連れて行かれる。

船長の家に住みながらアメリカの学校へ通い、当時の江戸とは異次元の知識と経験を身に着ける。

アメリカ西海岸で金が見つかり、万次郎もゴールドラッシュの波に乗り小金を稼ぎ、ハワイで下船した仲間を連れて日本へ戻る。

その際にリーバイスを履き、拳銃を2兆腰にさしていた。

日本帰国後、夢だった侍になり、英語の先生として幕府に召し抱えられ、生涯で3回も結婚し、当時の日本では底辺から最も出生した人物となった。

 

 

私の感心事はサバイバル生活

「ジョン万次郎」という本を読みながら何度も痛感した事がある。

そもそも、万次郎氏と私の決定的な違いは、当時のアメリカは見る物全てが輝く近未来というポジティブな世界だったが、私にとってのフィリピンは50年も過去にタイムスリップしたようなノスタルジック過ぎる世界。

つまり、ワクワク感の質と方向性が全く異なるのだ。

日本に住みたがっているティムは正にジョン万次郎的なポジションなのだろう。

私がジョン万次郎の生涯を辿る中で、船長に気に入られ養子としてアメリカに渡る冒険シーンよりも、14歳で船が嵐に遭い6日間も太平洋を漂流し、伊豆鳥島という絶海の孤島に漂着したサバイバルシーンこそが最大の感心事なのだ。

ジャパニーズアメリカンドリームのサクセスストーリーは二の次と言えよう。

漂流した6日間の気持ちや行動は一体どうだったのか?

アホウドリだらけの島に上陸し、そこから143日間、仲間とどう生きたのか、サバイバル生活の軌跡に断然興味が湧き上がる。

火を起こせないので岩に鳥の生肉を天日干しみたいにして食べたとか、そういう事をもっともっと知りたいのだ。

 

野村 長平 (1762年 - 1821年)

ジョン万次郎たちが漂着した鳥島は黒潮の関係で難破船が流れ着きやすいロケーションらしく、江戸時代の記録だけでも10件の漂着が確認されるが、その中でも最も過酷を極めた一人が野村長平氏のサバイバルストーリーだ。

江戸時代の土佐の船乗りで、操業中に嵐に遭い、鳥島での無人島生活を経て、故郷に帰還した。無人島長平と通称された。

土佐で300石船で御蔵米を運搬した帰路に、嵐に遭遇し、舵・帆柱を失って漂船となり、室戸岬を越えて黒潮に乗ったと推定され、12日漂流し、無人島であった鳥島に漂着。

 

イノセント
ジョン万次郎の漂流は6日間だったのに、この時点で大きく違うわね
モトボサツ
無人島生活歴もぜんぜん違うとです

 

長平以外に3名の乗組員が一緒に漂着したが、2年以内に全員死亡し、長平は無人島での単独生活を強いられる。

漂着から3年後の1788年、大坂船の11人が漂着、そこから2年後の1790年、志布船(薩摩)の6人が漂着し、島の人口が18名となったが後に4名が死亡した。

長平らは、船を作って鳥島を出ることを1792年に決意し、5年後の1797年に14名で鳥島を脱出。

 

イノセント
船をつくり初めてから5年後にようやく完成というのがドラマね
モトボサツ
もはや船に見えないほど強烈にボロかったらしいとです

 

島を出る時、のちの漂着者の便宜を図り、自らの遭難の経緯と造船について記した木碑、生活道具、ふいご、火打石、船の模型などを洞穴の中に納めて標識を立てた。

極限の状態でも他者を思いやれる精神力にとても痺れる。

数日の航海で人の住む青ヶ島を経て幕府直轄の八丈島に辿り着いた。

長平たちは伊豆の国代官所の取り調べを受けた後、幕府の御用船で江戸に送られた。

江戸での本格的な調べが済むと一行は解散し、それぞれ帰路に散った。

長平は1798年に土佐へ帰還を果たしたが、この時、地元では長平の13回忌が営まれていた最中であったという。

年齢は37歳。

その後、妻子にも恵まれ、60年の生涯を全うした。

帰還後につけられた「無人島」という彼のニックネームは、墓石にも刻まれている。

 

イノセント
サバイバルの神として崇められるべきね

 

野村長平のイベント年表

  • 1785年遭難
  • 12日後に無人島であった伊豆諸島の鳥島に漂着
  • 2年以内に仲間が全員死にたった1人で生き抜く
  • 1788年(漂着から3年後)大坂の11人が漂着
  • 1790年(漂着から5年後)志布志の6人が漂着
  • 1792年 船を作り脱出計画を決行
  • 1797年 船が完成し島を脱出
  • 1798年 帰郷を果たす(13回忌が行われていた)

ジョン万次郎vs野村長平

ジョン氏と野村氏は同じ土佐から同じ島に流されたのに苛酷さが違い過ぎる。

143日目にアメリカ人に救助され、夢のような生活を経験し、最先端の知識を身に着け、日本へ戻って大出世し、3人も奥さんを貰ったジョン氏。

一方、12日も漂流し、救助されないまま12年間無人島で生活した野村氏。

帰郷後は体験談を語ることで日銭を稼ぎ生活したらしい。

私は野村氏の方へ強烈な関心が湧いた。

各項目での苛酷さを比較するために二人の状況比較動画を作ってみた。

 

BGMは遠くへ行きたい

野村氏と仲間たちが無人島の脱出計画を立ててから苦節5年

驚くほどボロい船で大海原へ漕ぎだした

その際に、火打石や造船ツール等のサバイバル道具を後の遭難者のために洞窟内へ残したという

それから44年後にジョン万次郎たちが鳥島に漂着するが、洞窟にサバイバルツールが残されていたという記録は見当たらない

恐らくその間に別の漂着者があり使われてしまったものと考えられる

ほぼ同じ時代の出来事だが野村氏の内容の方が圧倒的に苛酷だ一緒に漂着した仲間が2年以内に死んでいる

並みの精神力だと発狂しているだろう

ジョン氏は漂着後143日でアメリカの捕鯨船に救助される

しかも船長が良い人でアメリカで最先端教育まで受けさせて貰う

土佐へ戻って侍の身分を得て大出世

3回も結婚している

野村氏と比べると圧倒的なツキがある

もし野村氏がすぐにアメリカ船に救助され代わりにジョン氏が12年間も鳥島に幽閉されたら

歴史上の人物の名は変わっていたはず

人生は運次第?

しかし

尽きぬ興味はサバイバルそして不屈の生命力

野村氏の精神力と生命にぜひあやかりたい!!

人生とは生きることなのだ

 

漂流 (新潮文庫)

 

考察とまとめ

幕末に活躍したジョン万次郎という人物の軌跡を追い、野村長平の漂流人生と比較して思うのが、人生は運次第である。

鳥島に漂流した記録は10件、延べ100名近くの日本人がそこで生活した。

しかし、嵐で船が難破し、黒潮に流された船で鳥島に漂着できずそのまま海の藻屑と消えた例の方が圧倒的に多かったはず。

これも運。

143日後にアメリカの捕鯨船に発見されて生き延び、船長が良い人だったのも単なる運。

そこに人間の努力は1㎜も通じない。

アメリカから日本に戻ると、時代的にスパイ容疑で打ち首になってもおかしくない時代にも関わらず、丁重に英語講師として召し抱えられたのも運。

野村氏は運が無かったのか?

ジョン氏よりももっと強烈な運があったように思える。

漂着した仲間が全員死んでも一人で孤独に生き延びた精神力と生命力。

親からもらった体が強かったのだろう。

そして、帰郷してから妻子を得て60歳まで生きている。

究極的に運とは「生きる事」であると確信を得た。

つまり、人生とは幸せになることではなく生きることである。

 

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漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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