フィリピン帰りボサツの気づき
ひとりごと
裏があるからこそ表がある
アンチからの痛烈なコメント。
ブロガーの宿命だといわれているが、やはり最低3時間は凹む。
フィリピン関係者の中でも好き嫌いがキッパリと分かれるモトボサツブログだが、アンチからの痛烈なコメント💥#確かにこの瞬間不審者の要素しかないのは自覚中#こういう粘着質のアンチって昔からいるけど同一人物かな pic.twitter.com/pZRkldqpXm
— モト ボサツさん@南国ノンフィクションブロガー (@motobosa02) February 23, 2021
フィリピンという不条理の塊の世界から日本へ戻ってきたが、日本人だから行けば何とかなるという考えは非常に甘かった。。。
泣きっ面に蜂?
危機的状況にとどめを刺すようなサイコパスが存在する。
たしかに、私は住所不定無職の怪しいおっさん。
しかし、そんな私にも温かい声をかけてくれたり、具体的に助けてくれる人がいるのだ。
日本人なら一度は聞いたことがある「地獄に仏」という言葉の意味を深く噛みしめる。
有り難いという言葉の意味を文字通り受け止めた。
そして同時にふと思うことだが、もし世の中の人全員が仏様のように慈悲深く優しい人だったらどうだろうか?
そもそも、「優しい」という概念は「優しくない」対象があるからこそ成り立つもので、全てが優しかったら、地球上に空気があるくらいごく普通の事として誰も気にとめないはず。
ご存知のようにフィリピン人は自己肯定の鬼であるが、現地語に自己肯定とい単語が見当たらない。
つまり、概念そのものが無いということなのだ。
単語、つまり概念が存在するためには真逆の対象が必要なのである。
優しい人が存在するには優しくない、つまり憎いヤツの存在なくして愛すべき人は存在しない。
つまり必要アクなのである。
今朝ジョギングしながら思った事
全国民が自分❤️なフィリピンではそもそも #自己肯定感 という概
念が無いもし世の中全ての人が仏様のように慈悲深かったら優しいという概念はこの世に存在しない
酷いは優しいを作る必要悪だと思えば腹も立たない
今すぐ癒されたい人▶️ https://t.co/CkAxQCGFi9 pic.twitter.com/nVIcnngywJ
— モト ボサツさん@南国ノンフィクションブロガー (@motobosa02) March 22, 2021
そう考えると、上司や同僚または隣人でとても嫌いな人がいれば、その人達の存在に対しお礼を言う気にさえなれるだろう。
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