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フィリピーナにとっての日本人男性
ティムの姉貴分で最も仲が良い「アテD」は良妻賢母の郷として知られるイロイロ市出身。
母親がサウジへOFWとして働き、子供の頃から食うに困ることはない安定的な家庭状況の下で育ち、高校までは優等生だった。
スカラーシップで地元の大学へ通いHRMと呼ばれる定番コースを卒業。
当時のフィリピンは大學を卒業する年齢はストレートで20歳だった。
卒業後はボラカイ島のホテルでマネージャー候補として働き始める。
世界でも最高峰のビーチで名高いボラカイ島にはお金を持て余した外国人が集まるのだが、財布も下半身も大解放ぎみのエロ欧米人ばかり。
ボラカイの習いに従い、いつの間にか夜な夜な欧米人の慰みものとなりながら、適当な頃合いにプティ(白人)でも捕まえて玉の輿に乗ろうかと思っていたらしい。
ある時、同僚の一人が日本へエイターテイナーとして出稼ぎに行くことになった。
半年後、アテDを日本へ誘う同僚からのメッセージが届いた。
あれだけ素晴らしいボラカイのビーチといえども、毎日毎日同じ景色を見ているとただの海。
元同僚のフェイスブックには美味しそうな食べ物や綺麗な街並みが連日アップされる。
ついこの前まで同じ生活をしていたのに。。。
元々金持ちの外国人狙いでボラカイ島のホテルで働き始めたアテDだったが、「ジャパゆきさん」が売春婦であるというネガティブな印象は元同僚の豪華な生活ぶりをオンラインで見ているうちにすっかり一掃されたのだった。
マニラのケソン市で半年のトレーニングを受けて日本へ。
2003年、名古屋の某Pパブへ送られた。
実はその頃私も名古屋住んでいたので、ひょっとして何処かでスレ違っていたのかもしれない。
ジーンズを履くと尻がツンと上がり、小股の切れ上がった均整の取れたスタイルは皆が想像するザ・フィリピーナといったところだ。
さて、23歳で初めて日本の地を踏んだアテDのストーリーをまとめてみよう。
アテDが日本へ行くまでのストーリー
マニラのケソン市のプロモーターの研修所ではフィリピン各地から有象無象の美女が集まって来ていた。
日本へ行くための研修は想像を絶する厳しさで、最も辛いのが食事制限とダンスの練習。
ガリガリを好む日本人は豊満バディーには用事はない。
基本的に外出は禁止だったらしく、中には夜中こっそり脱走して薬物を手に入れそれがバッチメイトに広がったりした。
その辺のタンバイの子供を妊娠して戦線離脱といった残念な研修生も出た。
研修さえ受ければ自動的に日本へ行けるという簡単な世界ではないのだ。
アテDは歌も踊りも上出来で、元優等生らしく悪の道へは走らず、ダントツの成績でAクラスの席をゲット。
新宿や名古屋など稼げる大都市へ送られるのだ。
BやCだとさえない地方都市でしかも超タコ部屋住まいとなる。
衝撃の事実
初めての日本の生活。
まずいきなり衝撃を受けた事といえば、シニア層が普通に働いているということだった。
特にセキュリティーガード(日本では警備員またはガードマン)にお爺さんが多い。
フィリピンでは基本的に20代、30代の若い人がやっている職業というイメージがあるが、日本では定年退職したシニア層が多い。
「セキュリティーガードなのになぜ銃を持っていないの!?」
そんなので強盗が出た時に対抗できるのか?
日本とは実に魔訶不思議な国だ。
ビルの掃除をしているのも明らかに60歳を超えたシニア層の女性も多い。
自分の祖母に近い年齢の人が額に汗し働いている光景が残酷に見えた。
フェイスブックではけして見ることのない日本社会の闇を垣間見た気がした。
真面目で優しい日本人とは?
日本人とフィリピン人の違いといえばまず「レスポンシビリティ(責任感)」だという。
お客さんへ営業メッセージを入れると、今夜行くと返事がくれば必ず時間通りに現れるのが日本人客の凄いところ。
フィリピン人は返事だけは凄いが実行性が伴わない世界。
この謎の責任感はアテDにとっては仕事をこなす上で好都合だった。
しかし、日本人男性は距離が遠い。
ボラカイ島に来ていたエロ欧米人達はすぐに体に触れてくるが、日本人客は真面目で優しくコロナ前から一定の距離感があったという。
店へやってくる日本人は英語をほぼ話せないのにタガログ語が得意という奇妙な事実にも驚いた。
イロイロ市出身のアテDは母語がイロンゴ語なのでタガログ語はあまり得意ではない。
しかし、お客さんは盛んにカタコトのタガログ語で話かけてくる。
歌も英語ではなくタガログ語の歌という謎の世界。
そんな中、英語が流暢な初老の紳士がやってきた。
歳の頃はそうさのぉ49歳。
着ている服が良い。
やはりフィリピーナは日本人以上に服装をチェックするのだ。
アテDの父親とほぼ同じ歳。
ボラカイ島で欧米人と付き合っているうちにアテDの英語はスラング混じりのネイティブ仕込み。
タガログ語にしか聞こえないパピった英語を話すフィリピン人エンターテイナーの中では異彩を放つ。
一発で気に入られた。
同伴システムを利用してくれる上客だ。
既婚者で女性の扱い方が超絶に上手い。
まるでお姫様になったような気がしたらしい。
派手な見た目にそぐわず真面目で優等生なアテDはその男性客の事がとても気になり始めた。
2度目の来日の時、名古屋ではなく新宿歌舞伎町に送られることになっていたのだが、急遽土壇場になってまた名古屋になったらしい。
アテDはあの初老の紳士の影響だというが真相は闇のままだ。
前回と店は違ったが、また名古屋で働くことになった。
フィリピーナ御用達の高カロリー店「矢場とん」の特大とんかつをまた食うことができる。
そして初老の紳士はまたアテDの常連客となった。
父親ほど離れた男性と付き合うフィリピーナは多いが、金だけとは思えない面もある。
フィリピンでは父と娘、母と息子の関係が濃く、フィリピーナにはファザコンが多いのだ。
わりと年上の男性を好む傾向はこのあたりに根拠があるのかもしれない。
そして3回目の日本も名古屋となった。
半年単位の契約が終わる1ヵ月前、働いていた店が突然閉店することになった。
同僚は急いで常連客と偽装結婚の相談に奔走したらしいが、アテDはその男性客と古巣のボラカイ島で一緒に暮らすことを望んだ。
妻子ある初老の男性との甘く切ない恋。
奥さんと仲が良い男性は外でもモテる
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奥さんと子供を大切にする素敵なお父さんという側面に安心と信頼感を感じる。
欧米人のようにやたらと大人の玩具を使おうとせず、熟練のテクでフィリピン人男性では遠く及ばないレベルで満足させてくれるのだ。
鬼滅の刃で言えば鱗滝さんのような感じだろうか?
フィリピン現地でフィリピーナにモテる男を観察していると、堂々と既婚者で本妻と仲が良い人が多い。
既婚なのに独身とか女房とは既に別居中で寂しい等と見え透いた嘘もつかない。
結局その初老の男性はアテDの待つボラカイ島へは来なかった。
逆にそこでホイホイ来るようなタイプだったら今頃困窮法人予備軍となっていた可能性もある。
3000万円の家を建てたら奥さんの従兄が実は彼氏で追い出されるストーリー。
アテDにとっては遊び上手な初老の紳士との甘く切ない想い出が残った。
あとがき
2010年、私がティムと正式に付き合うことになり、時々スービックにも遊びに行った。
日本へ戻りたがっているアテDを良かれと思い日本人の知人に紹介した事もあったが、残念ながら長続きしなかった。
歌が上手いフィリピーナはエッチが上手い。
知人の評判も上々だったが、いつもどこか遠くにあったようだ。
未だに名古屋の加藤鷹の事を思い続けているのだろうか?
半年ごとに男を乗り換え続け、3年前にようやく真面目なシーマンと結婚し落ちついた。
かつては全身エンターテイナーと呼ばれた優等生のアテDだが、今年40歳となりパンデミックのストレスで薄毛に悩んでいるという。
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