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海外での孤独死を考える
つい先日、セブ州の某所で61歳の知人が亡くなった。
カタカナ表記されていた日本人の名前を見た瞬間ズンと大きな衝撃が走った。
50代のうちに海外転出届を提出し、フィリピンのリタイヤメントビザを取得。
人生最後のチャレンジだ。
2014年、私が代理店をしているカナダの保険会社のファンドに預金の一部を移してからの付き合いだったのだが、今年の3月に入りコロナの衝撃でフィリピン株は一斉に大暴落。
その件で相談があり、LINEで暫らく通話をしたのが最後だった。
50代半ばでリタイヤメントとしてセブに移住したが、真っ直ぐでとてもピュアな人だったと記憶している。
「こっちで嫁さんでも見つけようと思ったけどさ、フィリピン人ってもう金くればかりで嫌になるよ」
50歳を超えて英語力ゼロ移住。
まともなフィリピーナと出会うのは難しい。
移住後数年が経過し、やつれた尊師と呼ぶにふさわしいほど不精髭だらけの浮浪者風貌となっていた。
それに関し、「悪いフィリピン人に狙われないためにそうしている」と言っていた。
確かにお金があるようには全く見えないどころかお恵みさえ貰える外観に仕上がっていた。
そこまでして日本を去る理由とは?
深い話はしていないので出身地と前職の事以外に過去の話はほぼ聞いていない。
孤独死が難しいと言われるフィリピンでもそうなってしまう日本人。。。
恐らく彼は氷山の一角であり、世界各地で日本人らしい孤独死現象が起きているのだろう。
孤独死の歴史
この言葉は日本で核家族化の進んだ1970年代に独居老人の死後、だいぶ経って久し振りに訪ねてきた親族に発見されたという事件の報道で登場、同種の事例がたびたび発生した1980年代ごろからマスメディアに繰り返し用いられた。WIKIより
特に都会では多くの人が住んでいるにも関わらず、誰にも気付かれず死んでいるという状況を指して「都会の中の孤独」という逆説的な死様として取り上げられていた。
体調が急変し助けを求める事も出来ず死ぬことが悲劇的にフォーカスされ始める。
老人の孤独死の定義として「65歳の一人暮らしで誰にも看取られずに亡くなり、2日以上たった人」とされている。
私は柄にもなく、30代半ばの数年間福祉業界に身を置いた。
社会福祉主事を取得するために1年ほど福祉大学という所へ通ったのだが、印象に残っているのは日本社会の闇の部分。
特に北九州に住んでいたという事もあり、男性が「おにぎりが食べたい」と書き残して孤独死した事件は未だに記憶に濃く残っている。
孤独死とは貧困と繋がり日本の闇を象徴する出来事として捉えられるのだ。
海外でもお一人様
日本人とフィリピン人を比較するとインターアクション(他社との交流)の差が非常に激しい。
フィリピン現地の日系企業のコントラスト。
12月のクリスマスパーティーをやりたがるフィリピン人とやりたがらない日本人の気持ちは真っ二つに分かれる。
お一人様文化がすっかり根付いた日本人の多くはSNS以外で他者とリアルに関わる事を面倒臭いと感じるようになっているようだ。
その状態のままリタイヤメントという自由な身で単身移住すると単に場所を移しただけで生活スタイルが変わるとは思えない。
50年前の日本といわれるフィリピンでは健康保険や生活介護保険制度が信じらない位に脆弱で、歳をとると1人で生きていくのが困難な環境。
一方で日本の社会保障制度は完熟しており、たとえシニア以降に独居老人となっても自活が出来る限り何とか生きていける。
将来ケアして貰える若い伴侶を求めフィリピンを目指す日本人男性は多いが、結局は身ぐるみはがされて捨てられるケースも多々ある。
そうなるよりいっそ1人で生活した方が気楽という流れがフィリピン移住者の実態でもある。
孤独死はネガティブなのか?
日本の孤独死は年間3万人。
公共料金の支払いがストップし、近所から異臭の通報。
他人に迷惑をかけたくない日本人としては極力孤独死を避けたいところだろう。
人間とは皮肉な生き物だ。
1人で生きていけないのに1人を目指す。
昔は大家族制でプライバシーの欠片もなかったが、経済発展し憧れの核家族という独立した形が実現し、そこから更に発展し熟年離婚で独居スタイル。
つまり人間が望む究極の姿が孤独死なのだ。
孤独に死ぬのは悲惨?
そもそも人は1人で生まれて1人で死ぬのではないのか?
私は30代でいきなり一人身となり、「今ここで死んだら俺は孤独死って呼ばれるんだろうな?」と思いながら生活していた、あの経験は非常に有意義だった。
深く自分と向う。
あの頃もしハードボイルド小説を書いたらなかなかの大作が出来ていたかもしれない。
独居を望む望まないにかかわらず、現代社会では経済発展すれば皆孤独死へ向かう。
ゴッドファーザーという映画でヴィトーコルレオーネはオレンジ畑で孫と戯れながら幸せに死んだ。
そして次世代である息子のマイケルは組織を合法的な企業に成長させるべく奮闘しつつも、最後はシチリアの古い民家の庭先で孤独死。
象徴的な時代描写だ。
経済的な繁栄を追い求めた時代とその結果。
時代とは常に皮肉な要素をたっぷりと秘めている。
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