フィリピンというか特にセブで車を運転していると、イライラはMAXとなり、心が鬼になる。
これは日本人だけでなく、フィリピン人も同様にイライラしているようだ。
増え続けるおびただしい車の数。
日増しに道路事情は劣悪化し、たった3kmの移動でも困難を極める状況の中で人々の心は好戦的となり、1mmも譲らないマインドでグリーディーなバトルを永遠と繰り返すのだ。
その特性は市街地よりも郊外の方がむしろ分かり易いかもしれない。
今回もセブ島南半周の旅でも数えきれない程の無意味で無謀な追い越しをかけられた。
こちらに影響のないやり方でスムーズに追い越せば良いのだが、計算の苦手な人達は1秒先の状況を想定しない。
ブライドコーナーまたは傾斜で先が見えない状況でも楽観的に平気で追い越しをかける。
案の定対向車が来る。
行先に困り前車とこちらの間に鼻をねじ込む形で分け入って来るのだが、こちらは急ブレーキを踏まざるを得ない。
抜いた後には気が済むのか、逆にこちらが追さなければならない程ゆっくり走りだしたり、そのまま50m先の路地に入って行ったり、そこまでする必要がない場合が殆どだ。
ハンドル握るとアグレシブになるのは日本でも良くある話。
フィリピン人は特にその傾向が顕著だといえる。
”察しない男 説明しない女”の著者である五百田達成氏はこう説く。
車は日常生活で操ることができるものの中では最大級の大きさ。その物理的な大きさから、歩行者や自転車を“小物”扱いしてしまうのです。この理論で言えば、大きな車に乗っている人や高級車に乗っている人の方が、その車の価値を自分の価値と同一視して尊大になりがちとも言えます
つまり車と自分のアイデンティティー。
それはエゴとの関係性に尽きる。
エゴの欲望は限りなく、回せば回す程増大してゆく怪物だ。
正にザフィリピン。
エゴを満足させるのは不可能。
得れば得るほど加速する。
必要なものではなく買えるものを買い続け、消費し続ける地獄のスパイラル。
高級品を持つと自分はそれにふさわしい人間だと勘違いできるシンプルな理屈。
そしてエゴとは激しい劣等感の側面でもある。
高級車に乗った写真や高級リゾートでの自撮り写真をアップし人目をひきたい。
フィリピンの走るエゴ。
無謀な追い越しもすべては飢えたエゴが操作しているのだ。
同じ土俵に上がっては行けない。
もし運転中に後ろからエゴ車が追いついて来たらぜひアクセルを緩め追い越しやすい状況を提供する位が丁度良い。
出かける時に心の中で唱える。
「さあ、今日もエゴカーに道を譲るぞ!」
ご安全に!
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