ナショナルアイデンティティの崩壊
2013年からブログを書き始め、当初は1日7000人にブログ記事が読まれていた。
そんな中、日本からやってくるブログ読者の方とお会いすることも多々あった。
その時によくこんな質問を受けた。
「ボサツさんって国籍はどうなってるんですか?」
当時また日本人も少ないセブでストリート系のブログをほぼ毎日更新していたので、国籍も含めてフィリピン化しているように映ったのだろう。
そして、自分もその当時は既にフィリピンという国を主観的に外国だとは感じておらず、ビサヤ語で話すフィリピン人を同胞のように捉えていた。
つまり、日本人としてのナショナルアイデンティティはほぼ無くなっていた。
大学からの給料はペソなので円高になっても全然嬉しくないし、日本の格付けが上がろうとも下がろうとも自分の扱いが変わるわけでもなければ誰も話題にすらしない。
海外転出届を出し、日本に税金を払わない代わりに、社会保障の恩恵も受けない。
ナショナルアイデンティティの崩壊と共に日本と日本人をドライな視点で客観的に見るようになっていった。
12年間で何度か本当に死にそうになったこともあったが、お蔭様で今こうして生きているのも運命。
非常に感慨深く生きている。
日本が村社会と言われる所以
人間は社会的な生き物であり、自分がどの集団に属しているのかを気にする。
特に日本人はフィリピン人に比べその傾向が強いと感じる。
日本は会社の肩書でフィリピンは自分の外観がアイデンティティを構築する。
今から23年前、元妻の父親が言っていたことがいまだに忘れられない。
私と元妻が結婚した当初、元義父は60の定年を前に早期退職し暇だったので我々の新居探しを手伝ってくれていた。
日本の場合は不動産会社にて物件を仲介して貰うのが一般的なので、まずは不動産会社へ出向き、営業マンの車で物件を回って決めるのだが、車中で色んな世間話が展開される。
すると聞かれてもいないのに義父は「私は◎◎会社の元社員で。。。」と今年退職した某一流企業名をやたらと強調していた。
つまり、退職する前はその社名と肩書の入った名刺を差し出せば、会社と自分が同一処理され、不思議と手厚い待遇を受ける。
日本人にとって名刺こそがフェイスブックであり、それを世間にさらして喜んでいる姿はフィリピーナがキメ顔で自撮りしまくっているのと同じだ。
元義父の場合、一流企業の名刺さえ出せば優越感と安心感を得ることが出来たのだが、肩書を無くせばただのお爺さん。
アイデンティティを無くした後は不安で仕方がない。
日本という一流企業(国)に所属している安心感が日本人にもあるだろう。
個人と集団の同一化
最近この点の切り口が多い。
- 日本は平和ボケ
- 日本は既に後進国
なぜこういう視点の議論に結びつくかといえばナショナルアイデンティティの存在だ。
経済的に日本のランキングが下がっているのは本当の事だ。
フィリピンでもとっくに市場から日本メーカーの存在は消え去り、見かけるのは車とバイクだけ。
しかし、「日本の後進国化」という切口で日本人へ警鐘を鳴らしているように見えて「自分は世界をよく知っているんだぜ」と自慢されているようで気持ちが悪い。
まとめ
最後にこう言いたい。
ナショナルアイデンティティとは愛国心と優越感に分かれる。
この10年間で私が追い付けないほど嫌韓化が進んでいったのは後者のアイデンティティに起因するものだろう。
自国へ愛国心は韓国人に対する優越感や嫌悪感へ繋がるものではない。
社会的カテゴリー化による安心感。
日本はこの意識が非常に強い国民であると感じる。
それは島国だから起きるのか?
フィリピンも島国だが、日本のものとは異質だ。
日本特有の現象であると感じて止まない。
日本が後進国化しているという警鐘系の記事を多く目にするのも、すべては日本=全ての日本人というナショナルアイデンティティに基づく現象であり、本当は日本が進もうが落ちようが、個人のレベルとは関係のない話である。
国に依存しないタイプの新型日本人こそが最高であると考える。
日本ではなく日本人のポテンシャルは高いはず。
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