日本vsフィリピン

【海外からの視線】ツイッターで分かる日本人の思考|自己愛と書いて人格障害と読むらしい

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自分ラブなフィリピン人

フィリピンに住むと日本の良いところが見えてしまい、日本に住むとフィリピンの良いところが見えてしまう。

これは私のみならず「ナイモノねだり」な人間の本能が生み出す典型的な症状なのだろう。

日本とフィリピンを客観的に眺めつつ結論に至ったのが「幸せの総量は同じ」という法則。

治安、インフラ、医療制度、経済力すべてにおいて世界トップクラスの日本。

しかし、一方で物質的に豊かになると幸せのセンサーが鈍くなり、あたりまえ感が増す。

つまり小さな幸せが見えなくなるのだ。

満たされない満足から逃れるように経済的豊かさをさらに追い求め、最後は孤独死という本末転倒な現代日本人の末路。

うちのカワイイちゃんがヘビーローテーションで観ている「千と千尋の神隠し」に出てくる欲にまみれた「カオナシ」の姿と重なってしまう。

一方、水と油と表現したくなる対局的な思考を持つフィリピン人。

日本人の感性や価値観にとって最もフィリピン人らしさを感じそして羨望してしまう点といえば自分を肯定する「自己愛」の凄さだ。

それが肯定的な側面で捉えられるとホスピタリティ溢れると表現され、裏目に出ると自分勝手な発達障害という見られ方をしてしまう。

 

ちょい悪ボサツ
おいおい、昨日が〆切だろ?
元教え子J
I was so busy sir.

 

こうやって一緒に働くと煮ても焼いても食えない思考回路とふてぶてしい態度に明らかな殺意さえ抱いてしまうが、同時にこの堂々とした自己肯定ぶりを羨ましく思う自分に気が付いている。

 

イノセント
存在を肯定されながら自由に育った証拠だわ
モト先輩
自己都合で責任放棄されると文明は進歩しないけどな

貧しいけど幸福度と人口増加率だけは世界トップクラスのフィリピン。

 

スマホには自分の顔がかならず背景画面として設置されており、PCのデスクトップ背景画像も自分の姿なのだ。

日本人なら旅行に行った時の風景写真やペットの写真が一般的。

そういえば家族の写真でも人間の写っている画像を背景として採用したがらない傾向にある。

ここは別の機会にエグってみたい。

 

先日朝からテレビにどっかのドクターがコロナ感染関係で取材を受けていた。

歳のころはそうさのぉ42歳くらいか。

フィリピンのドクターはなんだかタレント気分で日本に比べると盛んにメディアに露出する。

場所はおそらく彼のクリニックなのだが、後ろに自分の写真が堂々とセットされていた。

 

 

アメリカの映画等で家族の写真をオフィスに飾っているのを良くみかけるが、フィリピンでは自分のピン写真がダントツ。

フィリピン人は世界一自分が大好きなのだ。

 

日本人にとって自己愛は人額障害

私はフィリピンでの生活を続けるうちにフィリピン人の持つ自己肯定力つまり自己愛と幸福度の因果関係に気付き、それこそがフィリピン人の特徴を大きく形成している要素だと思うようになった。

つまりそれは日本人に対し最も対局の存在たらしめている要因となっている。

貧しくとも幸福度の高い国の正体。

それはつまり「自分を肯定する力=自己愛」がどれくらい存在しているのかという濃度次第だということだ。

ツイッターの検索欄に日本語で「自己愛」と入力してみると超ネガティブな内容ばかりが抽出されてしまう。

 

ツイッターで分かる日本人の思考

>自己愛にすぎない。。。

つまり日本人にとって自己愛とはネガティブワードとして使われているようだ。

 

 

>自己愛の強すぎるナルシスト!

そこだけ聞くとフィリピン人のことを言っているのかと思う。

 

>自己愛性は感情が読めない。相手の感情よりも自分がどう思うかが基準。

つまり自己愛のある人間は我儘なメンヘラだという認識が持たれている。

 

 

 

愛だのなんだのの歌を歌うくせに店員に対する態度は最悪。

カワイイちゃんが怪訝な顔をするほど声を出して笑ってしまったこのくだり。

なんと鋭い切り口なのか。

思わずこのアカウントのフォロアーになった。

 

>ついにここで自己愛性人格障害という単語が出てきてしまった。

つまり日本において自己愛の強い人間は人格障害という位置付けにされてしまうのだ。

 

 

ソシオパスと自己愛症パーソナリティー障害。

ソシオパスって何?

ソシオパス(sociopath)とは、反社会的な行動や気質を特徴とする精神疾患(パーソナリティ障害)を抱えた人のこと。言い換えれば、精神障害が反社会的な振る舞いとして表出するタイプの人を指す。

 

自己愛症パーソナリティー障害って何?

自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心の調節に困難を有するため,賞賛および特別な人物または機関との関係を必要とする;優越感を維持するために,他者を低く評価する傾向もある。

 

発達障害にされる外国人

外国人と表現を抽象化させボカしてあるが、フィリピンから来日した子供の話なのだ。

日本の闇とも言える独特の不文律がフィリピン育ちの子供達に立ちはだかる。

 

「これ出来る人?」

日本では手を挙げてはいけない。

 

「質問ありますか?」

日本では手を挙げてはいけない。

 

出る杭は打たれる国へ無防備にも自己愛まる出しな子供達が行ってしまうと発達障害扱いされてしまうようだ。

 

外国から来たその子、本当に「発達障害」ですか?いま教育現場では、日本語がわからない外国ルーツの子どもが「発達障害」と診断され、特別支援学級に編入されるケースが増えている。本書は、この問題のメカニズムと背景を明らかにし、本格的な「移民時代」を迎えた日本の外国人支援政策の陥穽を問う。

困難を抱える外国人児童が、「発達障害」の診断を受けて、特別支援教育に取り込まれる」「日本語能力で、普通の高校の勉強についていくことはとても無理、それなら職業教育を受けられる特別支援学校の方が良い、そのためには「発達障害」の診断をもらおう」「「包括的な移民統合政策」のないままにここまで来てしまった日本社会の問題」

フィリピン人の母と日本人の父を持つ二人の兄弟。フィリピンで祖父のもとで育ち、小6・中1の時にそれぞれ来日。母親、担任、部活の先生、言葉支援者など中3までに2人と関わった10人のインタビュー。印象的だったのは、周りの雰囲気や様子を見て合わせられる子達が、日本語が不自由でこのままだと就職が困難になるからという理由で発達障害とされたこと。職業訓練を受けるためには療養手帳があれば特別支援学校にいけると逆の考えから。そしてそれが特別支援学級で教えた経験を持つ先生達からの説得だったこと。言葉の大切さを改めて思う。

フィリピンを含め、外国につながりをもつ人々について、本人は大変だろう、と私は思っていた。しかし、彼らの子供が経験する困難にまで想像は及んでいなかった。恥ずかしかった。 読みすすめながら、やりきれないと感じていたが、個人の問題(心の問題)に原因が帰属されることにより、社会的な問題が維持されてしまう、とあう記述にハッとした。

 

包括的な移民統合政策のないままにここまで来てしまった日本社会の問題。

フィリピンハーフを持つ親としては子供を日本で育てることに最大の躊躇をしてしまうのはこの点だ。

一旦日本へ行き学校で強烈なイジメにあってセブへ戻ってくるフィリピンハーフの子の話もよく耳にする。

自己愛というキーワードが「わがまま ⇒人格障害」という扱いをされている日本。

一方、幸福度が世界トップ3に入るフィリピン。

日本の「あたりまえ」がことごとく破壊される毎日。

「~すべき」思考からの解放。

その根底を支えるのが自己愛という日本人にとってネガティブな要素であるという皮肉な現実をどう解釈するか?

また、幸福度と経済発展は反比例するのか?

ここはぜひフィリピン人になりかけている日本人という特殊な視線から客観的にエグっていきたいと思う。

 

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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